高校野球・歴代最強

過去の長い歴史の高校野球で甲子園の常連校は沢山ありますよね。

どの時代も名門校にはドラフト注目の選手がいたりしますが、歴代最強チームはどの高校なのか言い出せばキリはありません。

今回は歴代最強チームということで、その時代のもっとも強かった高校にスポットを当ててみました。

この歴史ある甲子園の中で、歴代最強校はどこなのか。

賛否両論ありますが、主観を含めて10校まとめてみましたのでどうぞご覧ください。

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池田高校(1982年)

元巨人水野雄仁氏や元横浜の畠山準氏を擁し、夏の甲子園優勝を果たした公立高校ですね。

緻密な野球には目もくれず、とにかく打って打って打ちまくるその打線についた異名は『やまびこ打線』でした。

74年から使われ始めた金属バットで快音を響かせるこの年の池田高校は、当時の大会記録を塗り替えるチーム本塁打7本と1回戦から決勝までの全6試合で二桁安打を記録し計85本の安打を放っています。

ちなみにこの大会では、甲子園のアイドル元ヤクルト荒木大輔氏擁する早稲田実業から3本塁打、全員安打の20安打14得点で大勝していますね。

当時の蔦文也監督は、洗面器の中でザリガニがガチャガチャするような野球は嫌で相手にアウトをくれるくらいなら打たせるという方針のもと、徹底的に上半身を鍛え上げ打撃練習に勤しんでいたようです。

この時のチーム成績は明治神宮大会出場なし、選抜出場なし、夏の甲子園優勝、国体でした。

圧倒的な攻撃力でプロへ進む投手が在籍していたこの当時の池田高校は歴代最強チーム候補の1つですね。

PL学園(1985年)

PL学園と言えば何といっても桑田清原のKKコンビです。1985年はそのKKコンビが最終学年の3年になった年ですね。

1年夏に甲子園優勝を経験してから優勝から遠ざかり、桑田氏自身も当時、どんどん成績が悪くなっているみたいで、、、と語り最終学年の年はプレッシャーが強かったのではないでしょうか。

初戦の東海大山形戦で、史上初の毎回得点を記録し29得点で大勝した打撃力は恐怖さえ感じますね。ちなみにこの時のチームからプロ入りしたのは清原氏桑田氏のほかに3名と凄さを感じます。

チーム成績は明治神宮大会出場なし、選抜ベスト4、夏の甲子園優勝、国体ベスト4でした。

甲子園20勝の桑田氏と甲子園13本塁打の清原氏がいた当時のPLは歴代最強の高校を論議するうえで必ず出てくる高校ですね。

PL学園(1987年)

史上4校目の甲子園春夏連覇を果たした87年のPL学園。

なんと当時のメンバーには元中日ドラゴンズ、通算安打数2480の立浪和義氏、元阪神で2003年には中軸としてリーグ優勝にも貢献した片岡篤史氏、元横浜大洋100勝をあげている野村弘樹氏、元巨人セットアッパーとして活躍した橋本清氏、元ヤクルト2000本安打&400犠打を記録している守備の名手宮本慎也氏など一流プロ野球選手が5人もいました。

春の選抜では延長までも連れこむような試合が2試合ありましたが、夏の甲子園ではほぼ危なげない横綱相撲で優勝しましたね。

チーム成績は、明治神宮大会出場なし、春選抜優勝、夏甲子園優勝、国体ベスト8でした。

これほどのタレント揃いですので、最強チームを語る上で必ずでてくるチームです。

横浜高校(1998年)

平成の怪物松坂大輔を擁し、公式戦負けなし44連勝のとてつもない記録を打ち立てた横浜高校。

何といっても甲子園夏の決勝でのノーヒットノーランは記憶に焼き付いているオールドファンが多いのではないでしょうか。

周りは社会人かノンプロレベルで、エースはプロ入り1年目から最多勝を獲得するのですからそれはどこの高校も歯が立たないでしょう。

横浜高校を倒したいと全国の高校から目標にされていたプレッシャーはすごかったと思いますが、それでも勝てるのですから強すぎますね。

ちなみにチームメイトには元横浜の小池正晃氏、元中日小山良男氏、現DeNA後藤武敏選手など後にプロ野球選手になる3人がいました。

チーム成績は、明治神宮大会優勝、春選抜優勝、夏の甲子園優勝、国体優勝です。秋の県予選、秋の関東大会、春の県予選と春の関東大会も全部優勝でした。

この世代の選手は松坂世代と呼ばれ、藤川球児、村田修一、杉内俊哉、和田毅、小谷野栄一などなど挙げれば切りのない多数のプロ野球選手がいる黄金世代です。そんなとんでもない時代に無敗なのですから歴代最強チームに挙げられますね。

智弁和歌山高校(2000年)

それまでの1大会歴代最多本塁打記録を塗り替えるチーム11本を放ち、その打撃力で全国を制覇した2000年の智辯和歌山高校。

夏の甲子園では全6試合で2ケタ安打を記録し得点も全試合7点以上ととてつもない破壊力を見せていましたね。大会通算安打も前人未到の100安打とケタ違いの打撃力には脱帽です。

この時には現ヤクルトの武内晋一選手が2年生で2本の本塁打を放っていたのだとか。ほかの選手たちはプロには慣れていませんが5番の後藤仁氏、6番の山野純平氏は3本ずつ本塁打を放つなど強力なメンツが揃っていました。

チーム成績は、明治神宮大会出場なし、春の選抜準優勝、夏の甲子園優勝、国体ベスト8。

しかし得点力とは裏腹に失点が35と少し多めなのが気になりますが、間違いなく長打撃力だけで言ったら最強チームにふさわしい甲子園記録だと思います。

駒大苫小牧(2005年)

現ヤンキースの田中将大投手が2年生の時のチームですね。翌年は夏優勝できませんでしたので2連覇した時のチームを最強候補として挙げさせていただきました。

夏の地方予選では失策0、甲子園でも準決勝まで失策0(決勝で2失策)と堅守を誇ったチームですね。

2004年は甲子園歴代最高打率をたたき出した打のチームでしたが2005年のチームは松橋拓也氏、吉岡俊輔氏、田中将大選手の3投手を擁し2004年ほどの破壊力はありませんが打力もまとまっており非常に投打のバランスが取れたチームでした。

ちなみに田中将大選手は決勝で最後のイニング3者三振で占めたのですが最後の優勝を決めた150キロには鳥肌が立った人も多いのではないでしょうか。

チーム成績は明治神宮大会優勝、春の選抜不祥事により出場辞退、夏の甲子園優勝、国体優勝と春の選抜も出ていれば全部優勝の可能性もありましたね。

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早稲田実業(2006年)

ハンカチ王子こと現日ハムの斎藤佑樹選手を擁し、夏の甲子園を制した高校。田中将大選手をエースとする夏の甲子園3連覇がかかった駒大苫小牧相手に、決勝で延長15回再試合を演じました。

最後のバッターになった田中選手を斎藤選手が三振に取るシーンは皆さんも1度は見たことがあるのではないでしょうか。

意外にもこの時のメンバーでプロになっているのは斎藤選手のみなのですね。明治神宮大会でも駒大苫小牧とは準決勝で当たっておりこの時は負けているようです。夏はリベンジという形になりました。

ちなみに国体決勝でも当たっており何か因縁めいたものを感じざるを得ませんね。

チーム成績は明治神宮大会ベスト4、春選抜ベスト8、夏の甲子園優勝、国体優勝です。

プロ入り後の斎藤選手の活躍はぱっとしませんが、当時最高の投手であったことは間違いありませんね。

興南高校(2010年)

現ソフトバンク島袋洋奨選手を擁し、史上6校目の春夏連覇を果たした高校。

島袋選手の独特のトルネード投法はまだ記憶に残っている人もいるのではないでしょうか。

1番打者の国吉大陸氏や3番の我如古盛次氏など強打者もいましたし見ごたえのあるチームでした。選抜前には島袋選手のワンマンチームだと言われたりもしましたが、野手もしっかりと成長し春夏連覇につなげたチーム力は最強の1つに挙げられるでしょう。

チーム成績は、明治神宮大会出場なし、選抜優勝、夏の甲子園優勝、国体は雨で打ち切りでした。

日大三高(2011年)

吉永健太朗氏、現DeNA横尾俊建選手、畔上翔氏、現阪神高山俊選手などタレント揃いの当時の日大三高。選手と小倉監督との親子のような関係性も当時話題になっていましたよね。

最速149キロのエース吉永氏やこれだけの野手陣が揃っているのを見ると、なんだか松坂大輔選手がいた頃の横浜高校を彷彿とさせます。

夏は6試合中何と4試合で2ケタ得点と高校生離れした打撃力で全国制覇を成し遂げていましたね。

チーム成績は明治神宮大会優勝、春選抜ベスト4、夏の甲子園優勝、国体優勝でした。

一時代を築いてきた日大三高。東の横綱と呼ばれる歴代最強高校の1つですね。

大阪桐蔭(2012年)

最近の高校野球ではラスボス的な感覚のある大阪桐蔭。当時の選手には、現阪神藤浪晋太郎選手や元オリックス澤田圭佑選手、当時2年生の元西武の森友哉選手がいました。

澤田選手と藤浪選手のダブルエースで夏の甲子園の防御率は0.80と圧倒的でしたね。ホームランこそ多いものの打力は最強には物足りない部分が多いが、この抜群の投手力は魅力的でしたね。

チーム成績は、明治神宮大会出場なし、春選抜優勝、夏の甲子園優勝、国体優勝でした。

のちにプロに進むバッテリーが試合を支配するわけですから、相手は手も足も出ないですよね。恐ろしいチームでした。

まとめ

いかがでしたか?

どの高校も最強として挙げられてもおかしくない成績、メンバーではないでしょうか。

当時を振り返ると懐かしい思いがこみ上げてくる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

今後、また新たな最強候補の高校が出てきてくれることに期待しましょう。