松坂世代・横浜高校メンバー

松坂世代は松坂大輔投手が高校時代に甲子園を沸かせたことで、同世代でも活躍した選手が多いことが由来でありますが、この世代は野球以外でも置き換えられることが多いですよね。

今回は松坂大輔投手と共に甲子園を沸かせた松坂世代の横浜高校OBに迫ります

高校時代の活躍やプロ入り後の活躍、現在の姿まで取り上げていきますので是非ご覧ください。

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小池正晃

小池正晃

愛称はゴジ。

横浜DeNAベイスターズ、中日ドラゴンズで活躍した選手。

横浜高校時代には主に1番ライトとして活躍していました。高校通算ホームランは26本と1番打者にしては長打力のある選手で、3年夏の甲子園3回戦では先頭打者ホームランを放っています。

高卒でドラフト6位指名を受けベイスターズに入団後は、松坂選手のようにスター街道を駆け上がったわけではなくなかなか目が出ないシーズンが続きました。

しかし2005年に自己最多の129試合に出場し、ホームラン20本というパンチ力を見せつけ飛躍の年にしました。

このシーズンは最多犠打も記録しており、その翌年も最多犠打を記録していますね。その後は打率の低さやほかの選手とのポジション争いなどで出場機会が減り中日に移籍した後も思うような成績を残せず2012年ベイスターズ復帰後2013に惜しまれながらも引退しました。

引退試合では7番レフトで出場し現役最後の打席では涙を浮かべながら試合を決めるソロホームランを放っています。

その後はベイスターズのコーチとして活躍し2018年現在も二軍外野守備コーチとして活躍しているようです。今後もベイスターズの若手を育て、強いベイスターズを作っていってほしいですね。

後藤武敏

後藤武敏

愛称はゴトタケ、GT、ぐっさん、ゴメスなど。西武ライオンズ、DeNAベイスターズで活躍している選手。

横浜高校時代には、甲子園で当時東福岡のエースだった村田修一選手からホームランを放っています。

高校通算ホームランは33本ですね。3年夏の伝説的試合だったPL学園戦ではバントミスを含む7打席ノーヒットと大ブレーキ。守っては悪送球で同点に追いつかれるなど散々な結果に。しかしその日の夜に松坂選手に励まされ、準決勝では6点差をひっくり返す猛攻の口火となるタイムリーと無死満塁から同点に追いつくタイムリーを放ちました。

高校卒業後は、法政大学に進み2年春にリーグ3冠王に輝き、秋のリーグ戦でも首位打者のタイトルを獲得し非凡な打撃センスで大活躍しました。

大学卒業後西武に自由獲得枠で入団し、その時4番に座っていたアレックス・カブレラ選手の怪我による離脱の代役として新人では44年ぶりとなる開幕4番ルーキーとしてスタメン出場を果たしました。

その後はなかなかレギュラーに定着できるシーズンに恵まれず2017年までの14年間でフル出場は0です。

現在はベイスターズにて代打の切り札として1軍定着を狙っているようです。現役として高校時代のチームメイトが頑張っている姿は松坂選手にも良い刺激となっているに違いありませんね。

小山良男

小山良男

横浜高校松坂世代では一番プロ入りが遅かった苦労人ですね。

横浜高校時代には、当時1つ上の先輩だった上地雄輔に代わり正捕手となって3年時には松坂選手とバッテリーを組み、自身はキャプテンとしてもチームを支えました。

国際大会では、杉内や久保、上重など松坂以外のピッチャーからも信頼され優勝に貢献するリードを見せました。

高校卒業後は亜細亜大学に進学し、主将を務め木佐貫や永川らを擁して2002年の大学選手権と明治神宮大会を制覇しています。ベストナインにも2回選出されるなど活躍しました。

大学卒業後はJR東日本野球部に入団し都市対抗にも出場。2004年のドラフトで中日から指名を受け念願のプロへの扉をたたくことになります。

しかしプロでは4年という短い期間しか現役生活を送れず2008年に現役引退。ブルペン捕手として球団に残ることになりました。その後は捕手コーチ、バッテリーコーチや育成コーチなどを歴任しています。

現在は、編成部スカウトとして未来の中日を担う選手を発掘する役割を担っているようですね。

まとめ

いかがでしたか?

同級生から4人もプロ野球選手が出ていればそれは横浜高校が強かったのも納得ですよね。

そんな松坂選手の同級生もコーチとして野球に携わったり、どんな形でもよいから出場機会をうかがったりと第一線からは退き始めています。

時代は変わり新たな世代が頑張っている野球界ですが、一時代を築いた松坂世代の横浜高校ナインのこともたまには思い出して欲しいですね。