松坂世代・プロ野球選手一覧

今回は松坂世代のプロ野球選手を紹介します。

松坂世代はいろんなジャンルで例えられるようになりましたが、松坂世代とは、松坂大輔選手と同学年にあたる1980年4月2日から1981年4月1日までに生まれた選手を指します。

松坂世代の横浜高校メンバーはこちら

ということで今回は松坂大輔投手と共に高校野球界を沸かせた黄金世代である松坂世代のプロ野球選手の現役選手と引退した選手に迫ります。

是非ご覧ください!

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藤川球児

高知商業出身。2年生の時に実兄と共に夏の甲子園に出場しました。この時はライト兼ピッチャーとして活躍。実兄との兄弟バッテリーとしても話題になりましたね。

高校卒業後は阪神タイガースからドラフト1位指名を受けプロへの道に進みます。

序盤は先発として投手生活を送っていましたが思うような成績を残せず、2004年に中継ぎに転向しました。その後は阪神伝説の中継ぎ陣JFKのFを担い阪神黄金期を支えましたね。

現在はメジャー、独立リーグを経て阪神に復帰し中継ぎとして活躍しています。

實松一成

佐賀学園出身。高校通算ホームラン39本を放っており、この時高校屈指のキャッチャーと評価されていました。

高校卒業後は、日ハムから松坂選手の外れ1位でドラフト指名を受けプロの道へ。ちなみに日ハムでは初めてのドラ1高卒捕手の誕生でした。

その後プロでは2000年に1軍昇格を果たし2001年には正捕手としてシーズン後半62試合に起用されるまでになりました。翌年も自己最多82試合に出場しましたがあまりにも打てなかったためそれまで正捕手だった野口選手と併用されていました。

現在は、2006年に巨人へトレードされたあと2018年に古巣日ハムで二軍育成コーチ兼任捕手として後輩の育成に励んでいます。

杉内俊哉

鹿児島実業高校出身。2度の甲子園を経験し3年の夏には木佐貫洋を要する川内高校に勝ち甲子園を決めました。ちなみにこの時県大会で47回2/3で64三振を奪い南国のドクターKと呼ばれ注目されました。

甲子園では1回戦でノーヒットノーランを達成し続く2回戦では松坂要する横浜高校相手に7回まで1失点と好投。しかし8回に松坂にホームランを浴びるなど合計6失点で敗北し最後の夏を終えます。

高校卒業後は三菱重工長崎に就職し、都市対抗や全日本選手権でチームに貢献しました。シドニーオリンピックの代表にも選ばれていますね。

そして2001年にドラフト3位でダイエーホークス(今のソフトバンク)へ入団。2005年には最多勝のタイトルを獲得し、2012年にはFAで巨人へ。何度もシーズン10勝以上をあげる活躍でダイエーでも巨人でもチームのエース格となりました。しかし怪我の影響で2016年以降は1軍の登板がありません。

現在は巨人でリハビリに励んでいるようで、早く1軍のマウンドへ上がる姿を見たいですね。

矢野謙次

國學院久我山高校出身。甲子園経験はありません。国学院大学時代に東都リーグ2部で通算23本のホームランを記録し井口二世と呼ばれるまでになりました。

プロ入り前はダイエーや日ハムに注目されていましたが、高校時代から注目してくれていた巨人に進みたいと巨人への入団を希望していましたね。

2002年のドラフトで6位指名を受け念願の巨人へ入団し2005年に1軍に定着し85試合で打率0.281、ホームラン7本と活躍しました。

プロ入り後は勝負強いバッティングが印象的で代打満塁ホームランを2本も放っています。巨人球団記録の代打安打19本も印象的ですね。

現在は日ハムにて代打での出場が多くなっています。代打の切り札としてベテランらしいチャンスに強いバッティングをこれからも見せて欲しいです。

和田毅

島根県立浜田高校出身。2年3年と2年連続で甲子園にエースとして出場しました。3年生の時にはベスト8まで進み森本稀哲要する帝京高校にも勝利しています。この時ストレートの球速は120キロ程度しか出ていませんでしたが、帝京高校の選手が150キロに見えたというくらいキレとノビのあるボールを投げていたようです。

高校卒業後は早稲田大学に進学し球速が140キロを超えるまでに成長しています。2002年には江川卓の持っていた東京六大学奪三振記録443を抜き、476奪三振まで記録を伸ばした。

ドラフトでは自由獲得枠でダイエーへ入団し2012年のメジャー挑戦までダイエーのエースとして活躍。メジャー移籍後は思ったような活躍をできませんでしたが、2016年にソフトバンクへ復帰後1年目で15勝を挙げ健在ぶりをアピールしました。

現在では怪我のリハビリに励んでいるようです。年内の復活が待たれますね。

松坂世代のプロ野球選手一覧!現役から引退までの有名選手 

小谷野栄一

創価高校出身。3年春に甲子園を経験し、2回戦でPL学園のエース上重に完封を喰らい甲子園を去っています。

その後創価大学へ内部進学し1年からレギュラーとして活躍しました。公式戦打率0.343、打点53と高いバッティングセンスを評価され2002年のドラフトで日ハムから5位指名を受け入団しましたね。

勝負強さを買われ4番を打ったり、ファースト、セカンド、サード、外野とどこでも守れるユーティリティプレーヤーとして活躍したりしました。打点王を獲得したシーズンもありましたね。

現在はオリックスに移籍し名サードとして活躍を続けています。

館山昌平

日本大学藤沢高校出身。松坂選手の横浜高校と同じ神奈川地区で投げ合ったこともあります。

関東大会決勝では横浜高校相手に延長10回まで投げ抜き惜しくも0-1で敗れていますね。3年春の関東大会でも松坂選手と投げ合っておりこの時も延長13回0-1で敗北しています。ちなみに甲子園は3年時の春選抜を経験していますね。

高校卒業後は、ヤクルトスワローズに3位指名を受けプロへの道に進みます。

プロでは最多勝や最高勝率のタイトルを獲得する活躍を見せ、チームの優勝に貢献するシーズンもありました。バッティングでもホームラン2本を放っていますね。

現在も先発投手としてヤクルトスワローズで頑張っています。

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村田修一

東福岡高校出身。当時はエースとしてマウンドに上がっていました。3年の春夏と2期連続での甲子園に出場し春の選抜では松坂選手と投げ合い敗退しています。第3回AAAアジア野球選手権大会では防御率0.00を記録し優勝に貢献しましたね。

その後は日本大学に進学し、投手としては松坂選手に勝てないと考え野手に転向しています。3年秋に1シーズン8本のホームランを放ちリーグ通算ホームランは20本でした。

2002年のドラフトでは自由獲得枠で横浜ベイスターズへ入団。1年目から25本のホームランを放つなど活躍します。その後は、強打のサードとして横浜の4番まで成長しホームラン王のタイトルも2回獲得しています。

そして2012年に巨人へ移籍した後2017年に選手の若返りを図ることを理由に球団側から自由契約とされてしまい移籍先が決まらぬまま独立リーグの栃木ゴールデンブレーブスに進みます。

現在では、栃木ゴールデンブレーブスでNPB復帰を狙い日々奮闘しているようです。

東出輝裕

敦賀気比高校出身。3年の時甲子園春夏連続出場を果たしています。

投手兼内野手、1番バッター、キャプテンと多くの役割を担い、あるスポーツライターは著書で天才と東出氏を評価しました。

高校通算34本のホームラン、打率0.464、50メートル5.7秒、遠投115メートルと突出した能力を買われ1998年のドラフトで広島から1位指名を受け入団。

高卒1年目から112試合に出場し、スタメンとして活躍しました。守備の名手として活躍し現役時代は広島一筋で広島の一時代を支えましたね。

赤田将吾

日南学園出身。はじめはレギュラーではありませんでしたが、赤田氏のフィールディングを見たプロのスカウトが守備の上手さを監督に指摘したところレギュラーで起用されることになったほど守備が上手かったそうです。

2度の甲子園を経験し、高校通算ホームランは49本。高校卒業後は西武ライオンズからドラフト2位指名を受けプロの道に進んでいます。

プロでは俊足好打の外野手として活躍しました。テレビ番組のスポーツマンナンバーワン決定戦でも総合2位になるなど身体能力の高さをメディアにもアピールしましたね。

現在は、西武ライオンズの二軍打撃兼外野守備走塁コーチを務め若手の育成に貢献しているようです。

森本稀哲

帝京高校出身。3年生の時にキャプテンとして甲子園に出場しました。和田毅選手からバックスクリーンへのホームランも放っていますね。高校通算ホームランは34本でした。

高卒後はドラフト会議にて日ハムから4位指名を受け入団しました。プロ入り後はメジャーから移籍してきた新庄氏のおかげでプレーが一変。明るい性格を前面に出し日本シリーズで優秀選手賞を獲得するなど大活躍しました。オールスターでのコスプレや被り物が印象的でしたね。

現在は、コンサルティング会社に就職後解説者やコメンテーターとして活躍しているようです。

木佐貫洋

鹿児島県立川内高校出身。3年夏には杉内選手擁する鹿児島実業に敗れ甲子園を逃していますね。

卒業後は亜細亜大学に進学し、東都リーグ12勝8敗、防御率1.80、225奪三振という素晴らしい記録を残しています。2002年のドラフト会議では自由獲得枠で巨人へ入団。

1年目から10勝を挙げて新人王を獲得していますね。2007年に12勝、2010年に10勝を挙げましたがぱっとした活躍をしたシーズンは多くありませんでした。

現在は、巨人、オリックス、日ハムと渡り歩いた後巨人のスカウトとして未来のプロ野球選手を発掘しています。

久保田智之

埼玉県立滑川高校出身。高校時代はキャッチャーでしたがピッチャーがやりたいと申し出るとトルネード投法で投げ始め新聞の記事で取り上げられるピッチングをしたこともありました。

高校卒業後は、投手として誘われた常磐大学へ進学し最速153キロを計測するなどしてプロから注目されるようになりました。

ドラフトでは阪神から5位指名を受けプロへの道へ進みました。最速157キロの速球を武器に阪神最強のリリーフトリオのJFKのKとして活躍しました。日本記録である1シーズン90登板はいまだに破られていない記録ですね。

現在は関東地区担当のスカウトとして未来のプロ野球選手を発掘しています。

新垣渚

沖縄県立沖縄水産高校出身。春夏通じて甲子園の出場経験があり、松坂選手と共に注目を集め全国大会史上初となる151キロを記録しました。

高卒後のドラフトではオリックスが1位指名で交渉権を得ましたが、ホークス以外なら進学と決めていた新垣氏は九州共立大へ進学。

4年生の時には、秋季リーグで無傷の5連勝で最優秀選手とベストナインを獲得していますね。

2002年のドラフトでホークスに自由獲得枠で入団しプロへの扉を開けます。2年目からは2桁勝利を3年連続で続けておりましたがその後のシーズンはぱっとせず2016年にヤクルトで現役を引退しました。

現在は、ソフトバンクの球団職員として野球教室の運営などにかかわっているようですね。

古木克明

豊田大谷高校出身。3年の時は夏の甲子園でベスト4に進出。

高校時代は練習の虫と呼ばれバットを抱いて寝るなどという逸話がありました。逆方向へホームランの打てるパンチ力がある選手でもありました。

高卒後は、横浜ベイスターズへ松坂選手のハズレ1位として入団しましたね。若手ながら長打力を発揮し横浜の一時代を支えました。2009年に現役を引退し、何と格闘家に転身もしました。勝利も飾っています。

その後独立リーグなどを経てNPB復帰を目指しましたが叶わず、現在は復興支援を行う一般社団法人スポーツFプロジェクトを立ち上げたり、大学院生としてスポーツ選手のセカンドキャリアを研究したり様々な活動をしていますね。

まとめ

いかがでしたか。

ここまで松坂世代の有名なプロ野球選手を紹介しました。

松坂世代はプロでも活躍し一時代を築き上げた選手が多い。

この世代の現役選手が少なくなってきますが、最後まで現役を貫くのは誰になるんでしょうか?

松坂投手はどれだけボロボロになっても現役にこだわる投手だと思うので、いつまでもマウントに上がる姿がみたいですね。

そして、今後この世代がコーチや監督として若手を育て新たな時代を築くことでしょう