プロ野球期待外れランキング・歴代ドラフト1位

プロ野球期待外れランキング!

ということで、歴代のドラフト1位で入団するも活躍できなかった選手をまとめていきます。

一流選手は案外ドラフト1位以外が多かったしますが、これがプロの世界の厳しさといったところでしょうか。

ドラフト1位で活躍できなかったからといって、中傷する気は全くなく歴代のドラフト1位にはこんな選手がいたんだな~

という感覚でみて貰えると幸いです~

そんなわけで、プロ野球の歴代ドラフト1位で期待外れと話題になった選手に迫ります~

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辻内崇伸

辻内崇伸

2005年巨人ドラフト1位
 
2005年夏、甲子園は大いに沸きました。

大阪桐蔭のエースだった辻内投手は1回戦で球速152kmを記録。さらに2回戦では大会タイ記録となる19奪三振をマーク。

準決勝では田中将大を擁する優勝候補筆頭の駒大苫小牧打線から16三振を奪い、一気にドラフトの注目候補となりました。

3球団競合の上くじを引き当てたのは巨人。

巨人に入団後は度重なるケガにより大きな期待とは裏腹に一度も1軍登板を果たすことなく2013年戦力外となりました。

もちろんケガも原因ではありましたが、それ以上に、巨人のドラフト一位という重圧をはねのけて一軍の舞台で輝けるだけのメンタルを身に着けることができず、持っているポテンシャルを最後まで出し切れなかった投手でした。

現在は女子プロ野球、埼玉アストライアでヘッドコーチを務めておられるようです。

二神一人

二神一人

2009年阪神ドラフト1位 

法政大学のエースとして、4年生時の大学野球選手権でMVPを受賞するなど、即戦力ルーキーとして入団し背番号18を与えられました。

1年目から1軍キャンプに抜擢され、キャンプオープン戦で順調に結果を残し開幕ローテーションをほぼ手中にした頃、左腹斜筋を故障し脱落、続いて右ひじを故障し、1年目をほぼ棒に振ることになってしまいます。

そこから後はフォーム修正との戦いで、大学時代のオーバースローから真横のサイドスロー、少し腕をあげたスリークウォーターと自らの球質と故障した右ひじの負担の少ない投げ方を探し続けました。

二軍では安定したピッチングを披露するものの一軍では目立った活躍をすることができず2016年戦力外。

最も輝いていたのが大学4年時からプロ入り直後で、順調に成長すればローテを守れるような逸材ではありましたが、ケガによって大きく青写真が狂ってしまいました。

球威が衰えたためにコントロールと変化球を散らして打ち取る方法を模索していましたが、最後まで自分のプロとしての投球スタイルを確立できませんでした。

現在は球団広報をされています。

高橋大樹

高橋大樹

2012年広島ドラフト1位 

「神ってる男」として2016年広島優勝とともにレギュラーに定着し、2017年から四番を務める鈴木誠也選手。

その鈴木と同じ年のドラフト1位として龍谷大平安高校から入団したのが高橋選手です。

高橋選手は中学時代から世界選手権代表に選出されるなど関西では知られた選手で龍谷大平安高校でも炭谷(現西武捕手)を超える大器という評価だったよう。

入団時の背番号は25で、これは阪神にFAで移籍した新井貴浩がつけていたもので、球団の長距離砲としての期待を込めて決めたものです。

2年目の2014年にウエスタンで二桁本塁打を記録し一軍昇格も果たしますが定着できず、その後はウエスタンでも打率、本塁打とも目立った結果を残せていません。

広島の外野手は外国人も含めもっとも競争が激しいポジション。

あの鈴木誠也を抑えて1位指名を勝ち取った逸材ですので、2017年こそブレークできるでしょうか。

柿田裕太

柿田裕太

2013年横浜DeNAドラフト1位
 

社会人野球の名門、日本生命から2013年の1位として入団したのが柿田裕太投手。

はずれ1位ながら3球団が競合することになったため、同年ドラフトではそれなりの高評価だったと予想できます。

2016年まで3年間1軍登板なし。

どちらかといえば投手層の薄いDeNAで一度もチャンスが与えられない状態が続いています。

高校時代に甲子園にも出場してプロ志望届も提出していた好投手(指名はなし)。

入団後は1年目からファームではローテーション投手として投げて7勝とまずまずでしたが、当て逃げ事故を起こすなど私生活面と病気による離脱でチャンスをつかめなかったようですね。

横浜は同年入団に平田や三上、1年後に守護神の山崎、2年後には今永と次々好投手を獲得しているため、その中で目立つことができずチャンスも少なかった模様。

どちらかといえば層の薄い中継ぎ陣に食い込むことが当面の目標になるでしょうが、社会人出身であり目立つボールを持っているわけではないので数少ないチャンスをモノにできるでしょうか。

野村亮介

野村亮介

2014年中日ドラフト1位 

中日の背番号20といえば、杉下茂、権藤博、星野仙一、小松辰夫など錚々たるメンバーが背負った竜のエースナンバー。

その番号を与えられた野村選手は社会人からのプロ入りということもあって当然即戦力を期待されていました。

ただ、当時のドラフト会議の指名選手はGMとなった落合博光氏主導で人選が行われ、野村選手の1位指名を推したのも落合GM。スカウト人は有原(現日本ハム)を推していたと言われています。

1年目の2015年シーズンは3試合の登板に終わり翌2016年シーズンは一軍登板はなし。

これが落合GM批判のひとつとして取り上げられ、背番号とともに指名順位が結果的に大きな重荷を背負わせてしまった感がありますね。

2年目の2016年シーズンもケガの影響もあり1軍当番はなし。

オフに派遣された台湾のウインターリーグでは防御率3.60とまずまずの成績を残したことから2017年シーズンは期待が持てるかもしれません。

決して投手層が厚いとはいえない中日ですので、チャンスはまだあると思われますし、頑張って欲しいですね。

杉浦稔大

杉浦稔大

2013年ヤクルトドラフト1位
 
国学院大学から大瀬良大地のはずれ一位としてヤクルトが2球団競合の上獲得したイケメン右腕です。

体が細く手足の長い、所謂投手然としたタイプの投手。

ひじをうまくつかって腕をしならせて投げるストレートとスライダーのキレが持ち味。

大卒1位なので、当然即戦力を期待されて入団しますが、1年目にひじの故障で離脱。2年目もケガに泣かされ7試合の登板に終わったものの、終盤の優勝争いをしている試合での先発や日本シリーズの第3戦に先発するなど実績からすれば大事な試合での登板を任されました。

首脳陣の期待を背負っての3年目もケガで途中離脱、3勝を上げたものの十分な活躍とはいえませんでした。

コントロールも良く、試合を作る能力も1軍レベルですが、いかんせんケガが多すぎて飛躍しきれていないガラスのエースタイプの投手です。

大場翔太

大場翔太

2007年ソフトバンクドラフト1位 

2007年ドラフトで6球団が競合した同年の最大の「目玉」投手でした。

大学時代は投げては完投、「鉄腕」の異名を持っていたパワーピッチャー。

スライダーとフォークのキレも素晴らしく、誰もがプロでの活躍を疑いませんでした。

1年目のソフトバンクでのデビュー戦は無四球完封。強烈な印象を植え付けたのですが、5月以降はパッタリ勝てなくなり結局3勝に終わります。

2011年にようやく便利屋的なポジションで登板を重ね自己最多の7勝を上げますがこれがプロでのキャリアハイの数字になってしまいました。

持っているボールは素晴らしいのですが、状況に応じたピッチングやピンチでの落着きなど試合を作る能力を上げることができない、よくいう「ブルペンエース」タイプの投手でした。

ポテンシャルを評価されて期待を受けて1軍に上がるも結果を残せず1、2軍の行ったり来たりを繰り返し、2015年オフに中日にトレードされるも中日では1軍登板はなく2016年に戦力外となりました。

森雄大

森雄大

2012年楽天ドラフト1位 

2012年のドラフトといえば、今や楽天のエースにのし上がった則本(2位)がいるために高卒左腕であるドラフト1位が目立たなくなってしまっていますね。

2球団競合の上に楽天が交渉権を得た森選手は当時のBIG3と呼ばれた藤浪、大谷、浜田にひけを取らない素材として注目されていました。

当時の星野監督にリップサービスとはいえ、数年後は大谷や藤浪を超える投手になるとまで言わせた素材です。

左で速いボールを投げられる投手はいつの時代も需要は高く、森投手もその球界のニーズに合致。高卒投手ということで1年目は1軍昇格することなく身体作りを主体に育成され、2年目に初勝利を上げ、ここまではとても順調に思えました。

ここから伸び悩んでしまい2015年までに1軍では2勝、2016年は一軍登板なしに終わっています。

球威は十分で、課題は制球力。高卒選手は大卒1年目選手と並ぶ5年目が本当の勝負とよく言われます。楽天は左腕の先発投手が不足している上に球団創設以来左腕の二桁勝利投手を出していないということもあり、森投手にかかる期待は大きいといえますね。

森雄大は現在彼女いる?母子家庭の噂や弟は?年俸や球速と球種についても 

大石達也

大石達也

2010年西武ドラフト1位 

大石投手の2016年までの通算成績は100試合登板、2勝6敗、8セーブ、6ホールド。

これをどうとらえるかは難しいところですがドラフト指名で6球団が競合した同年の一番の「目玉」選手だったことを考えると期待に応えているとは言い難いですね。

大学時代には150kmを超えるボールをバンバン投げ込み、世界大学野球選手権で米国の打者をストレートでなで斬りにしたあの姿からこの選手のプロ入り後の活躍を疑った人は少なかったでしょう。

ところが入団後は、大学時代の球威が嘘のようにボールの力を失い、球速は140kmそこそこが精いっぱい。

プロに入って発症した肩の痛みと、当初西武が先発投手として育成しようとしたためにバランスを崩し、ポテンシャルは鳴りを潜めています。

結局西武も大石選手に向いている役割の認識を改めたのかリリーフでの登板が多くなり、2016年は36試合に登板して防御率1.71の結果を残しました。

それでも大学時代のあのストレートを知るファンからは「まだまだこんなものじゃない」という期待が大きく2017年の飛躍が期待されますね。

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木村優太

木村優太

2008年ロッテドラフト1位

高校時代からその素質を高く評価され、プロ入りの可能性も大きかった左腕投手でしたが、希望した在京パリーグ球団からの指名確約が得られず、巨人の内海などを輩出した社会人の強豪、東京ガスへ進みます。

本人は在京のパリーグへの思いが強く、2006年に横浜に指名されますがこれを拒否。

その後西武から裏金(栄養費)を受け取っていたことが発覚し1年間の謹慎処分を受けてしまいます。

結局本人希望の在京のパリーグ入団の希望がかなうのは2008年ドラフトになりました。

入団後は1軍で活躍することができず初勝利を挙げたのはプロ7年目の2015年。2016年も飛躍するこができず、オフに戦力外となりました。

高校時代には和製ランディジョンソンと言われた選手でしたが、本人の在京パリーグへのこだわりと裏金問題でプロで活躍するチャンスを何度も逃してしまったということで非常にもったいない投手でした。

渡辺諒

渡辺諒

2013年日本ハムドラフト1位

その年のもっともいい選手を1位指名するというポリシーのもと、2011年は巨人入りを希望する菅野智之を、2012年は米国行を希望する大谷翔平を強行指名。

2013年の日本ハムは松井祐樹、柿田祐太、岩貞祐太と3連続でくじを外し、結果選んだのが素材型の渡辺選手。

パワー、スピード、肩と多くの項目で高いバランスを保っていた渡辺選手は育成に自信を持つ日本ハムならではの指名でした。

プロ入り後3年間の一軍成績は通算打率.174と期待に応えられていません。

守備型ではなく、長打力と走力のある大型内野手に大成する可能性を持つ選手として将来性は高いようですね。

ポジションも内外野複数で起用され、まだまだ特定のポジションを掴み取るところまでいっていません。

最も可能性の高いのが2017年田中賢介とルーキーの石井が併用されている二塁ですが、割って入ることができるか注目です。

甲斐拓哉

甲斐拓哉

2008年オリックスドラフト1位

東海大三高時代は長身から150km級のストレートを投げ込み、東浜(現ソフトバンク)と並び称されるほどの素材だった投手。

ボールの力では甲子園で優勝した東浜よりも上と評価するスカウトもいた程です。

入団1年目に肩や腰、指などを負傷し、投げられない状態に。

1年目はファームでも1試合。2年目もひじを故障し、ファームでわずか4試合の登板に終わりました。

3年目オフに戦力外となり育成選手として契約するもその1年後に戦力外に。

長身で球威のある将来性豊かな投手でしたが相次ぐ故障で満足に力を出すことなく、高卒のドラフト1位としては早い3年間で見切られてしまう結果になってしまいました。

その後プロの夢を捨てきれずに、復帰を目指して独立リーグで3年間プレーしますが、2015年に引退。

川口知哉

川口知哉

1997年オリックスドラフト1位

 
1997年春夏の甲子園で平安高校(現龍谷大平安)のエースで四番として活躍。

平安高校では1年生からエースを務め140kmをはるかに超えるストレートと大きなカーブは超高校級でした。

ドラフトでは4球団が競合、オリックスが交渉権を獲得。正に鳴り物入りでの入団だった甲子園のスターもプロは厳しく、故障にも悩まされました。

高校時代の軸足を曲げるフォームをプロで矯正され制球がつかなくなりファームでは四球、暴投を連発。投げ方を変えたことによる故障、フォーム矯正、また故障を繰り返し、2004年についに戦力外に。

高校野球の名門、平安高校で1年生から群を抜いた実力でエースとなりプロ入りするまでにほとんど自分より上の実力者を見たことがなかった選手でした。

プロの壁にぶち当たった時に自らの力で工夫し克服していく適応力がなかったために有り余る素質を開花させず仕舞いで1軍での登板はわずか9試合、未勝利という成績に終わりました。

現在は女子プロ野球、兵庫ディオーネのヘッドコーチとして活躍中。

岡崎太一

岡崎太一

2004年阪神ドラフト1位

「ポスト矢野」。優勝した2003年から10年以上の間阪神タイガースで合言葉のように繰り返された言葉です。

阪神のスカウトは捕手コレクターと揶揄される程毎年のように捕手を指名するも矢野が引退するまで生え抜きで100試合以上の試合に出た捕手は狩野だけという寂しさ。

岡崎がもっと早く活躍できていればというファンも多かったはずです。

ノンプロ出身、強肩、強打の捕手としてもちろん即戦力、数年後には矢野のポジジョンを脅かすような存在にと期待されましたが、結果は散々。守備力は一定以上の評価を得るものの特に貧弱な打撃が足を引っ張り出場機会を得られませんでした。

ノンプロ出身選手でありながら10年以上も目立った出場機会がないまま戦力外にならなかったのはファームで積み重ねた練習や成長を評価されていたからだと言います。

そして2016年金本監督が就任し、バッテリーコーチに矢野氏が就任したことをきっかけに守備力を評価されてついに1軍の開幕マスクを勝ち取りましたが、ケガで途中離脱。

苦労人の覚醒なるか注目です。

赤坂和幸

赤坂和幸

2007年中日ドラフト1位

浦和学院のMax146kmを投げるエースとして、また高校通算58本塁打を放った野手として、当時のプロスカウトの間では評価の分かれている選手でした。

中日は投手として育成することを決定します。

1年目の交流戦で1軍デビューを果たしますが、それ以後1軍のマウンドで投げることはありませんでした。

投手として2軍では結果が残らず2010年戦力外を通告されることになりますが、同時に野手として育成契約選手に。

高校時代に投手、野手で評価が分かれていたことを球団はしっかり認識していて野手としても非凡だった可能性に賭けたのですね。

その後2014年に野手として支配下登録を勝ち取り、2015年には主に代打で35試合に出場して3割を超える打率を残しました。

ところが2016年は練習中に投手のボールが脇腹を直撃したり、守備練習中にフェンスから跳ね返ったボールを踏んで転倒、骨折するなど不運なケガに見舞われ7試合の出場に終わっています。

まだ一軍では実績を残したと言えない状況で、2017年中日は若手選手に切替を図ろうとしています。

野手としても正念場の登録4年目のシーズンに再び輝けるでしょうか。

まとめ

プロ野球のドラフト1位というと、2017年のドラフト制度では各球団1名で合計で12名しか指名されない狭き門です。

正に選ばれた選手達。

各球団や指名年度によってチーム事情が反映されるため、即戦力を期待して、または素材型で将来を期待してと様々な方針はあるにせよ、いずれも将来その球団を背負って立つ存在になると信じて指名するものがドラフト1位になりますね。

よく入団すれば順位は関係ないというファンがいるのですが、それはプロで与えられるチャンスには限りがあり、それはドラフト1位だからといって無尽蔵に与えられるわけではないからです。

年数が経過すればするほど与えられるチャンスは減っていき、チャンスをものにできなければ戦力外通告が待っています。

入団から即戦力となり大活躍する選手がいれば、ケガで育成になり再び支配下選手となって輝く選手もいます。

また一度も一軍の試合に出場することなく去ってゆく選手も多いですね。

その一人一人に違ったドラマが存在し、それこそがプロ野球の魅力でもあるといえます。

スカウトが日本全国、時には海外にまで奔走して獲得してきた選手を注目し、活躍を目にした時の喜びを共有することを夢見てファンは毎日試合を観戦するのでしょうね。