かつての中日で絶対的セットアッパーといえば
浅尾拓也投手
ですね。
浅尾投手といえば2010年、2011年の最優秀中継ぎ投手です。
ドラゴンズが球団史上初のリーグ連覇を果たした
2011年は79試合に登板し、脅威の防御率0・41を記録。
見事リーグMVPに輝きました。
近年は怪我との戦いで戦力外や引退の噂も絶えませんがその辺についてもピックアップ!
そして、嫁と子供と年俸についてもまとめていきますのでご覧ください!
浅尾拓也の現在は?戦力外の噂から引退決定?
さて、近年の浅尾投手の成績ですが、2016年は一軍での登板無しに終わっており、2017年は一軍で開幕を迎えることができたもののわずかほとんど登板はありません。
最近は怪我で苦しんでるので当然、戦力外と引退の噂がちらほらと流れているわけです。
そんな浅尾投手の現在はというと、2017年は例年グアムで行ってきた自主トレをやめ、ソフトバンク・オリックスで活躍した馬原孝浩さん(2015年に引退)と福岡で自主トレを行いました。
馬原さんといえば、浅尾投手と同様肩を故障し手術をしながらもオリックスに移籍した2014年に55試合登板32ホールドを記録し復活を果たした経験の持ち主です。
そんな馬原さんに弟子入りした浅尾投手はファームで41試合に登板し、3勝1敗、防御率は2.82とまずまずの成績を残しています。
浅尾投手目当てにドラゴンズの二軍のホームスタジアムであるナゴヤ球場に足を運ぶファンも多いようで、そんなファンに対して浅尾投手は誠実に対応しているようです。
サインや写真を撮ってもらったというコメントが多くありました。
直接声がかけられるというのはファンにとっては嬉しいですね!
そして、戦力外から引退?ということについてなのですが、ここ数年の成績の低迷により、引退や戦力外を心配するファンも多いようです。
一部のファンからは、なぜまだ戦力外にならないのか?という厳しい意見も出ているようですね。
そんな浅尾投手の引退のことで調べていると、以前から「うどん屋」のワードが浮上しているます。
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何故うどん屋?
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ってことですが、調べてみたところ、引退してうどん店の経営をしようとしているということでもなく、好きな食べ物というわけでもないようです。
定かな情報はありませんが、浅尾投手が出身の愛知県の郷土料理が味噌煮込みうどんですよね!
そこから派生したのかもしれません。
逆境に立たされている浅尾投手ですが、かつては手におえないくらいの剛腕投手です。
全盛期のような投球スタイルでは通用しなくても、制球力で勝負するといったタイプに上手く変化できればまだまだ一線でやっていけるのではないでしょうか?
岩瀬投手も「名も無き球」を習得して何とか1軍で食らいついてるので、浅尾投手も踏ん張ってほしいですね。
当時の8回浅尾、9回岩瀬、といった最強コンビは脅威的でしたから。
そう簡単に戦力外になる投手には思えません!もちろん引退もまだまだ先!
中日には50歳まで現役を続けた山本昌さんをはじめ、何度も手術を繰り返しながらも成績を残し続ける吉見投手やかつて共に黄金時代を築いた岩瀬投手など、球界を代表する選手寿命の長いピッチャーがいますよね。
浅尾選手はぜひ先輩を頼って復活を果たしてほしいものです。
嫁との馴れ初めは?子供の名前も
ここ数年は一軍で目立った活躍をしていないにも関わらず、球界きってのイケメンとして根強い人気の浅尾投手。
CHECK!中日のイケメン選手のまとめ
そんな浅尾投手の嫁と子供についてみていきましょう。
浅尾投手は2009年12月に一般女性の古川沙帆里さんという方と結婚されています。
2人の馴れ初めは常滑北高校1年からおつきあいをされていたそうで、三度の破局を乗りこえ10年の時を経てゴールインしました。
プロ入り後はタレントなどと知り合う機会もあったと思いますが、そんな誘惑にも負けず一途に10年愛を貫くとは、顔だけでなく生き方もかっこいいですね!
子供については2012年11月に第一子となる息子さん、2015年10月には第二子の娘さんに恵まれています。
今では二児のパパなんですね。
残念ながらお子さんの名前は公にされていません。子供をネタにされたくないという浅尾投手自身の意志のようです。
しかし、誕生日は公表されていて、なんと息子さんは岩瀬投手と同じ日なんだそうです。
やはり中日の黄金期を支えた二人には特別な縁があるんでしょうか。
10年という長い交際期間を経て入籍した浅尾投手ですが、実は入団当初から球団に結婚しないようお願いをされていたんだそうです。
女性ファンの減少を心配してのことだったそうですが、まるでアイドルですね!
責任感の強い浅尾選手ですから、球団のお願いを聞き入れ、先延ばしにしていた…というこ
ともあるかもしれませんね。
年俸は?
ここからは、浅尾投手の入団からの年俸推移を見てみましょう。
2007年:1200万
2008年:1700万
浅尾投手はルーキーイヤーの2007年から一軍での登板機会に恵まれ、4月にはプロ初勝利を記録。
後半は肩の痛みで数試合の登板に留まりましたが、プロでやっていけるという手応えを掴ん
だ年となりました。
2008年は怪我の影響から二軍でのスタートになりますが、6月に一軍に昇格しリリーフとして44試合に登板、防御率1.79と好成績を残します。
2009年:3500万
2010年:7500万
2011年:1億3500万
入団3年目の2009年から浅尾投手の飛躍が始まります。
自身初の開幕一軍入りで開幕投手を任され、見事勝利投手に。
その後先発では結果が残せずリリーフに配置転換となりますが、7月にセ・リーグ新記録となる月間11ホールドを記録し、月間MVPを受賞。
2009年の結果は67試合に登板し、防御率3.49。
リリーフとしての適性を開花させた年となりました。
2010年、2011年の成績は皆さんご存知だと思いますが、リリーフとして大車輪の活躍で、二年連続最優秀中継ぎ投手を受賞。
ドラゴンズが球団史上初のリーグ連覇を果たした2011年は79試合に登板し、脅威の防御率0・41を記録。
見事リーグMVPに輝きました。
2012年:2億7500万
2013年:2億2000万
2014年:1億6500万
2015年:1億2000万
しかし、2012年からは怪我に苦しめられ、勤続疲労からかかつての豪速球も影を潜めてしまいます。
登板回数も減っていき、球団の順位も下がる一方。
この時期、浅尾投手自身も引退を考えたそうです。
責任感が強い選手ですから、チームの成績が奮わないことも辛かったでしょうね。それが余計に復帰への焦りとなってしまったのかもしれません。
2016年:9800万
2017年:7350万
ついに大台の一億円を切ってしまった2016年。
キャンプまでは順調にこなしたものの終盤に肩の違和感が出て、自身初の一軍登板なしに終わってしまいまいました。
2017年は一軍で開幕を迎えましたが、4月に登録を抹消されて以来二軍生活が続いています。
浅尾投手は2016年の契約更改時、
「契約すると言ってもらえるだけでありがたい」
とコメントしています。
裏を返せば、戦力外通告を受けても仕方ない成績だと自覚しているということでしょう。
2018年:5600万円
引退を囁かされる浅尾投手は2017シーズンもわずか4試合登板に終わっていますが、史上3人目の200ホールドを達成してます。
現状浅尾投手の位置はないので、2018シーズンは中継ぎでも先発でもとにかく登板数を増やしていきたいですね。
まとめ
ここまで中日の浅尾投手について取り上げてきました。
現在の状況から嫁と子供と年俸についてもまとめてみましたがいかがだったでしょうか。
怪我との戦いで思うような成績が残せていない中、どんな心境で過ごしているのでしょうね。
ファームではある程度の試合数を投げられていますし、肩の不安は解消されつつあるのかな、という気もしますが。
もう一度浅尾投手の一軍での登板が見たいですね!