大島洋平・中日
2017年はBクラスからの脱却を目指す中日ドラゴンズ。

そんなAクラス、そして優勝を目指すチームにとっては欠かせない戦力の

大島洋平選手

と取り上げていきます。

2016年のシーズンオフはFA移籍の噂もあって色々心配されたファンも多いことでしょう。
これまで年俸面でも良い交渉が出来ていない印象もありましたから。

とはいえ、一転残留を決意!

そんな、大島洋平選手のFA交渉決裂の過去や、年俸、高校時代を始め嫁の画像や子供など、大島選手の情報についてまとめていきたいと思います。

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大島洋平の交渉決裂の過去について

冒頭で触れたように、大島選手は2016年オフに中日ファンを震撼させたニュースがありましたね。

交渉決裂の過去

中日の中心選手である大島選手の残留交渉決裂。他球団FA移籍騒動です。

事前に中日とは何回か残留交渉を進めた結果、移籍を決意したということは、残留の可能性は極めて薄くなった、と考えざるを得ません。

その交渉決裂の過去の背景には、落合元GMに原因があるようです。落合さんがGMに就任したときから凄まじい減俸フィーバーだったことは記憶に新しいですね。

で、大島選手は2014年にも契約更改のもつれがありました。

落合GMの選手の年俸カットがあったり相当な不満があったようです。

プロ野球選手としては、自分を少し手も高く買ってくれる球団に行きたいところ。お金を出し渋る?中日のような球団には愛想がつきたのでしょうか。
大島選手に対し正しい評価をしてくれる球団を望む、16年のFA騒動の裏には大島選手のそんな思いがあったのです。

ただでさえ他球団に比べて、選手層が薄いと言われている中日ドラゴンズ。
そんな侍ジャパンにも選出されたことのある中心選手の移籍とあっては、かなりの戦力的なダメージがあるのは間違いありません。移籍候補にあがったのは2球団でした。

阪神と巨人です。

移籍先がともにセ・リーグのライバル球団とあってはいよいよその傷は深いものになりそうですね。

外野手の高齢化で補強が急務であった巨人。広い甲子園の外野を守る人材不足であった阪神がその移籍先の噂になったわけですが、一転残留を決断しました。

中日にとってはうれしいニュースとなったわけですが、その理由はなんだったのでしょうか。

残留の要因は森繁監督?

一説によると森繁和現監督の働きかけによるところが大きいと言われています。

森監督といえば、西武ライオンズの80年代の黄金期に主にリリーフとして活躍。その時に出会った当時西武のフロントで活躍していた根本陸夫を恩師として仰いでいます。根本氏といえば既になくなっていましたが、「球界の寝業師」「根本マジック」など、監督やコーチなどの表舞台よりも、裏で選手獲得や移籍交渉などで辣腕を発揮したといわれています。

根本氏のおかげで、現ロッテ監督の伊東、現ホークス監督の工藤などを有望選手をルール上ギリギリの方法で獲得し、黄金時代を築くことが出来ました。

その後、福岡の弱小チームであった当時のダイエーホークス(現ソフトバンク)でも、工藤、石毛、秋山を今度は逆に西武から獲得。そして世界の王貞治氏を監督として迎え入れ、現在の強豪チームの礎を築きました。

その根本氏を師としている森監督もそういった交渉の力に長けているのです。

大島選手も移籍の意思を翻意し、記者会見では「すっきりした」と中日での活躍の意思を示しました。
もし残留の理由が森監督の交渉力のものによるものなら、中日の黄金時代復活も近いかもしれませんね。

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嫁の画像と子供は?

大島選手はプロ入団前にすでに結婚されています。

中日に入った2009年3月に結婚していますね。

大島選手は名古屋の享栄高校を卒業後、駒澤大学、日本生命を経て、24歳からの入団で、入団時にはすでにお子さんもいたようで、入団会見は妻子を伴っての行ったようです

非常に珍しいですよね。入団後は1年目から1軍で104試合に出場しています。ほぼレギュラーといってよいですね。
やはり、家庭を持ちながらプロの世界に入ったということで、プレッシャーと責任感があったのでしょうか。

そんな大島選手の嫁・真世さんお子さんの慶士くん
大島洋平・嫁

入団会見時ですね。
嫁・真世さんは3歳年下のようですが、美人でしっかりものに見えて美人ですね。

真世さんは大阪の美容院のブログにもアップされていましたが、美容には気を使ってかなりモテたんだろうなと言う感じがしました。

きっと大島選手の活躍もプロ入り入団前から支えてくれた奥さんのサポートがあってこそだったのでしょう。これからも仲良く、そしてさらなる中日での活躍を期待したいですね!

年俸

そんな大島選手の年度別年俸はこちら

2010年:1200万円
2011年:1800万円

1年目から100試合以上に出場した大島選手
当時の落合監督からの守備への信頼感は絶大なものでしたね。

左中間、右中間の打球をダイビングキャッチしていた印象がこの当時からあります。

2012年:2500万円
2013年:7500万円
2014年:5625万円

ブレイクしたのは2012年で盗塁王を獲得。
このときからから日本を代表する外野手として注目されるようになりましたね。

2015年:7400万円
2016年:9000万円

2014シーズンは序盤絶好調でしたけど、夏場の怪我をきっかけにスランプに陥るも結果的に三割をマークは流石ですね。

2016シーズンオフにFAの動向が注目されましたが残留に。

2017年:1億5000万円
2018年:1億8000万円

2017シーズンの大島選手も打率3割1分3厘という成績で3000万アップで2億到達もまもなくですね。

一時期年俸で放出も噂されましたけど、この球団で2億到達は大変なことですが、大島選手ならやってくれそですね。

高校時代について

大島選手は地元名古屋の享栄高校を卒業しています。

高校時代はどんな選手だったんでしょうか?

当時は投手兼外野手で、さらに最後の夏の予選では1番バッターで投手という離れ業を演じています。

1番でしかも投手といえば、二刀流大谷選手を思い出しますが、当時の大谷選手も投手だけでなく俊足打者としての役割が期待されていたことがわかりますね。

享栄高校は決して強豪校ではなかったようですが、その大会で5回戦まで進出しその時に優勝したイチロー選手などを輩出した名門・愛甲大名電に敗れるまで、投手としては0点に抑えたという記録が残っています。

守備力の高い外野手、そしてスピードスターとしてプロの舞台で活躍している大島選手ですが、当時は投手としての役割も果たした万能選手だったそうですよ。

もし大島選手が早い段階で栗山監督に出会っていれば・・・、二刀流なんていうこともあったかもしれませんね。

現在、中日には足の速い「京田陽太選手」も入団されて、打線の弱い中日にとっては走力という武器がプラスされてチームとして楽しみな要素が増えましたね!

まとめ

中日のV奪回のためには欠かせない大島選手。2017年は1番打者ではなく、3番打者としての出場が増えています。

走者を返すクリーンナップとして、森監督の中心選手としての期待がうかがいとれますね!
投手陣の奮起は必須条件となりますが、

野手の大島選手にも大きな活躍にかかっています。

過去に獲得した盗塁王子だけでなく、首位打者や打点などのタイトル争いに大島選手が加わってくるようになれば!

森監督の笑顔の機会が増えることでしょう!