横浜DeNAの歴代ドラフト1位!
横浜からドラフト1位指名で入団した選手の活躍した選手と活躍できなかった代表例を厳選してみました。
横浜ベイスターズ時代からまとめていきますが、横浜DeNAになってからはチーム事情もあり投手中心のドラフトでしたが、過去のドラフトはWBCで歴代の4番バッターを輩出してきたチームだけあって有名なスラッガーもちらほら。
最近の選手まで現在は引退してしまったレジェンド選手までまとめてみました。
目次
横浜DeNAの歴代ドラフト1位【活躍】
まずは活躍編から紹介していきます。
果たして現在の横浜DeNAの主軸選手はどのくらいの選手がドラ1入団なのでしょうか。過去の球団史に残る選手と合わせて紹介していきます。
筒香嘉智
2009年ドラフト1位で入団
横浜DeNAの看板選手であり、日本を代表するスラッガーの筒香選手。
そんな筒香選手も下積みの期間は長く、1年目に一軍でホームランを放ったものの伸び悩む日々が続き頭角を現したのは5年目。
DeNA初の本塁打王であり球団を代表するスラッガーであると言えます。2017年のWBCでは4番を務め活躍しメジャー移籍も噂されていますね。
山崎康晃
2014年ドラフト1位で入団
新人の最多セーブ記録の保持者であり2019シーズンには通算200セーブを記録し、歴史に名を残るクローザーとなった山崎投手。
ファンからの人気も絶大で登場曲に合わせたヤスアキジャンプはお馴染みとなっています。入団当初は不安定な時期があったり特定の球場が苦手だったりしましたが2019シーズンは抜群の安定感を発揮し絶対的なクローザーになりつつあります。
濱口遥大
2016年ドラフト1位で入団
1年目から二桁勝利を挙げた左のパワーピッチャーの濱口投手。
当時のドラフトは田中、佐々木、柳のビッグ3が注目されていましたが、地元神奈川大学から入団した濱口投手が結果的に1番活躍しています。
2年目以降は怪我や不調で1年目が1番の成績になっていますが今後のエースとなる可能性大です。
東克樹
2017年ドラフト1位で入団
記憶に新しいルーキーイヤーにチームトップの成績を残し、新人王に輝いた東投手。
しかしながら2年目は怪我で出遅れ満足のいく成績を残していません。
成功例に入れるか悩んだ選手ではありますが、新人王を獲得した時点で成功といっても良いでしょう。
今永昇太
2015年ドラフト1位で入団
横浜DeNAのエースの今永投手もドラフト1位入団です。1年目から活躍をしましたが、惜しくも新人王を逃すも2年目は二桁勝利を記録しました。
3年目に大幅に成績を落としたものの4年目は絶対的エースとして君臨。東、濱口投手とともに左腕ドラ1トリオとしてエースの座を争います。
山口俊
2005年高校生ドラフト1位で入団
現在は巨人のローテンション投手として大活躍している山口投手の入団は横浜。入団当初は先発投手ときて期待されていましたが、チーム事情でクローザー不在となりクローザとして活躍し、当時の最年少100セーブを達成しましたが横浜DeNAになってからは大きく成績を落としました。
しかしながら先発投手として復活してFA権を取得し、2017シーズンオフに巨人へ移籍。
現役では少ない100勝100セーブの可能性を秘めた投手です。
内川聖一
2000年ドラフト1位で入団
近年はソフトバンクでの活躍の印象が大きいですが入団は横浜ベイスターズでドラフト1位入団です。
入団してからブレイクまでの期間は長く初めてレギュラーとなったのは2007年でいきなり右打者最高打率を残しました。横浜時代はユーティリティープレイヤーで二塁も守っていました。
WBCでも活躍してソフトバンクに移籍後もリーグ優勝、日本一に貢献しました。
斎藤隆
1991年ドラフト1位入団
NPB通算403登板/81勝55敗/14H/55S/防御率3.75
MLB通算338登板/21勝15敗/40H/84S/防御率2.34
近年の活躍ではどのチームでの活躍が記憶に新しいでしょうか?
楽天での優勝の貢献かメジャーでのクローザーとしての活躍が記憶には新しいですが、横浜ベイスターズ1998年優勝時のエースでもあります。
日本で力が落ちてきてクローザーに転向させられクローザーでも通用しなくなってきて36歳という高齢でメジャーに移籍して大成功したという珍しい経歴を持つ投手です。
メジャー移籍後は硬いマウンドとメジャーのボールがフィットしたのか99マイル(159km/h)を計測しメジャー2年目は防御率1.40、39セーブを挙げメジャーでも屈指のクローザーとして名を馳せました。帰国後は地元の楽天に復帰し、リーグ優勝に貢献して引退。
一般的な知名度はあまり高くないですが紛れも無いレジェンド投手です。
佐々木主浩
1989年ドラフト1位入団
NPB通算439登板/43勝38敗/1H/252S/防御率2.42
MLB通算228登板/7勝16敗/0H/129S/防御率3.14
球団は2つ遡り指名時は大洋ホエールズだった頃のドラフトは1位の佐々木投手。
歴代最強クローザーと名高い佐々木投手は大魔神の愛称で抜群のフォークボールを武器に日本、メジャーで大活躍しました。マリナーズでは新人王獲得、球団記録の45セーブを記録し斎藤投手と並びメジャーで一流のクローザーとして活躍しました。
谷繁元信
1988年ドラフト1位で入団
3021試合/打率.240/229本塁打/1040打点/32盗塁
中日で選手兼任監督も務め中日のイメージが強い方もいるかもしれませんが谷繁選手の入団は横浜大洋で1998年優勝の立役者となりました。
3021試合出場は日本記録であり、捕手という負担の大きいポジションで27年間出場し続けました。
谷繁選手の移籍とともに横浜ベイスターズの低迷が始まったことからも大きな影響を与えていた選手であり、日本で歴代最高クラスの捕手であることは間違いないでしょう。
村田修一
2002年自由獲得枠で入団
1953試合/打率.269/360本塁打/1123打点/14盗塁
記憶に新しい現役の最後は独立リーグまでNPB復帰を諦めず、現巨人コーチの村田選手。
大卒1年目から20本塁打を記録し、2年連続本塁打を獲得しWBCでは日本の4番を務め世界一に貢献。横浜ベイスターズの身売りとともにFAで巨人に移籍し、リーグ優勝、日本一に貢献。
ちなみにWBCでは第1回大会は多村選手、第2回は村田選手、第4回は筒香選手と日本代表の中軸を輩出し続けています。
横浜DeNAの歴代ドラフト1位【失敗】
ここからは失敗例を紹介していきます。失敗といってもプロでは活躍できない選手の方が多いので特に入団前の期待が大きかった選手について取り上げていきます。
那須野巧
2004年ドラフト1位で入団
121登板/13勝27敗/14H/1S/防御率5.27
大学時代はプロでの活躍が約束されているレベルの活躍をしていて当時の横浜ベイスターズが新人選手の契約金を超える金銭を受け取っていたと話題にもなりました。
しかしながらプロに入ってからは一軍での登板こそありましたが、目立った活躍はできませんでした。
柿田裕太
2013年ドラフト1位で入団
一軍登板なし
3球団競合ドラ1でしたが怪我に悩まされて一軍登板が無く引退しました。このドラフトでは育成1位で砂田投手が指名されており、左のリリーフエースとしてチームに大きく貢献しました。
北方悠誠
2011年ドラフト1位入団
横浜ベイスターズ最後のドラフトで指名された北方投手は台湾のウィンターリーグで158km/hを計測し当時の中畑監督からクローザーとして期待を寄せられるものの制球難が改善されず一軍登板が無くNPBでのキャリアを終えました。
2019シーズンからはアメリカでドジャース傘下のマイナーリーグでプレイしています。
古木克明
1998年ドラフト1位で入団
537試合/打率.247/58本塁打/150打点/12盗塁
松坂大輔の競合に敗れ指名された古木選手は4年目のシーズンに22本塁打を放ち、村田選手と共に将来的には中軸を担うと期待されたものの、守備が酷く打撃も22本塁打を記録した年から下降してしまい、2007年にはオリックスにトレードされてしまいそのまま活躍できずに現役を引退し格闘家に転向しました。
まとめ
以上、横浜DeNAの歴代ドラフト1位選手の活躍・失敗選手をまとめてみました。
活躍した選手は
・筒香嘉智
・山崎康晃
・濱口遥大
・今永昇太
・東克樹
・山口俊
・内川聖一
・斎藤隆
・佐々木主浩
・谷繁元信
・村田修一
失敗した選手は
・那須野巧
・柿田裕太
・北方悠誠
・古木克明
を人選してみました。
2000年代は低迷していた横浜ベイスターズですが、80〜00年代の選手は素晴らしい実績の残した選手が多かったものの、活躍の場が他球団に写ってるところが当時のチーム状況をよく反映しているといえますね。しかし、近年の投手ドラフト1位の活躍率は素晴らしく今後も即戦力投手路線を続けるのか注目ですね。