後藤武敏・DeNA

今回は西武ライオンズと横浜DeNAベイスターズで活躍した

後藤武敏選手

について取り上げていきます。

後藤選手といえば、西武時代には新人で開幕戦4番を任されるなど強打者として活躍し、横浜では代打の切り札として活躍した選手。また、「ゴメス」の愛称でチームメイト、ファンからも親しまれていますね。

しかし、ここ数年腰の怪我で出場機会に恵まれず、戦力外の噂も、、、

年齢的なものと成績をみればそういう噂が流れても仕方ありませんが、ハマスタ盛り上がるゴメスコールはもう見られなくなってしまうのでしょうか。

そんな後藤武敏選手の戦力外や引退について迫ります!

また、気になる嫁や子供もピックアップ!

そして、相性のゴメスの由来や年俸、横浜高校時代などについても紹介していきますのでご覧ください!

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後藤武敏は戦力外通告される?引退の可能性は?

後藤選手は2011年に横浜DeNAベイスターズにトレードで移籍、右の代打の切り札として活躍を続けていましたが、怪我も重なりレギュラーの座を掴みきれません。

そこで噂されるのが

戦力外引退です。

2016シーズンは出場わずか27試合。このときから戦力外通告をされると噂されましたが、チームメイトやファンからも愛されるキャラもあり、2017年も選手としてチームに所属しています。

7月23日に初めて一軍に昇格するものの、打率は1割台、ノーアーチと低迷し、さらに2017年で戦力外、引退が濃厚と噂されています、、、

さすがに長打力を期待されての代打でノーアーチは厳しいでしょう。

さらにチーム事情を鑑みると2017年シーズンの横浜は激しい上位争いを続けていますね。

後藤選手が守れる一塁手や三塁手のポジションには2017年ブレイク中の宮﨑敏郎選手や助っ人のロペス選手などがいます。

また、代打としても石川雄洋選手や乙坂智選手など横浜高校の後輩たちが控えていることから、このまま成績が伸びなければ後藤選手は戦力外になる可能性が高いのでは?

しかし、右の代打はチームにとって希少なことから、結果を出せば必要とされることは間違いないです。

後藤選手はファンや選手からも人気がありますから、そう簡単にチームを離れてほしくないでしょうしね。

また、引退の可能性についてですが、後藤選手は怪我が多く思うようなプレーが続けられないため自身で引退を決め指導者に転身する可能性もあります。

ちなみに現在DeNAの一軍打撃コーチの小池正晃さんは横浜高校時代の同級生で、プロでも共にプレー。

小池選手の引退試合では後藤選手がベンチで涙するシーンが印象的でしたね。

今後の後藤選手の去就をチェック!

嫁と子供をチェック!ゴメスの由来も!

続いては後藤選手の子供についても紹介していきます。

後藤選手の嫁さんは英里さんという方です。

法政大学時代から交際をしていて2006年に6年間の交際を経てゴールイン。純愛を実らせたということで、ここにも後藤選手の一途な人柄が感じ取れますね。

嫁・英里さんについては結婚当時、家事手伝いをしていましたが、現在の職業等は明らかになっておらず、おそらく専業主婦だと思われます。

子供については、2人の間には2008年に長男・輪太郎くんが誕生。

後藤選手は輪太郎くんが誕生した翌日に2本、2014年の6歳の誕生日にもホームランを放つなど子供の存在が後藤選手にとってどれだけプラスになっているかがわかりますね。

長男の輪太郎くんの名前にはこんなエピソードがあります。

2008年5月に後藤選手の母・あや子さん57歳の若さで他界されたのですが、その1カ月後に生まれたのが輪太郎くんで、あや子さんの生まれ変わりに見えたことから「輪廻(りんね)」から「輪」の字を取ったんだとか。

そして、2011年4月20日には長女が誕生しているので、多分後藤選手は子供は現在2人かなと思われます。

2016シーズンオフのイベントではクリスマスツリーの点灯を行う一幕があり、「娘を連れてきたいですね」とさりげなく立派なパパをアピールしていましたが、やっぱりそういう人間性がファンに伝わっているんでしょうね。

ファンからもチームメイトからも愛され、パパとしても素敵な一面を持つなんて、後藤選手らしい!

そして気になる「ゴメス」の愛称の由来についてなのですが、これはファンの間では有名な話ですね。

ゴメスの愛称がついたのは後藤選手がDeNAに移籍した初年度のキャンプでのことです。

当時のある日、後藤選手と石川雄洋選手と松本啓二郎選手の3人が待ち合わせしてたようで、その日松本選手が遅刻してきたそうなんです。

すると松本選手は後藤選手選手に対して、「ごめんっす」という軽はずみの言葉で謝ったらしく、それを見た石川雄洋選手が

そんな先輩の呼び方はないだろ

といったことが結果的に後藤選手の愛称が”ゴメス”になってわけです(笑)

移籍初年度から後輩にいじられるなんて後藤選手らしい!

後藤選手も「おかげでチームに早くなじめた」っていい人すぎますね。2014年からは、ヒーローインタビューでは「ゴメスです」とあいさつするのがお馴染みに。

結果、2015年には登録名を「後藤 武敏 G.(ごとう たけとし ごめす)」に変更。

翌2016年には「後藤 G 武敏(ごとう ごめす たけとし)」

2017年は「G. 後藤 武敏(ごめす ごとう たけとし)」

に変更するなど毎年の契約更改も話題になっていますね。

松本選手が遅刻がここまで発展するだなんて本人もチームメイトも思ってもなかったでしょうね(笑)

このまま2018シーズンも契約されたらがGはどこにいくのでしょうか?

Gが2つでGG後藤 ?

GG佐藤のように(笑)

やっぱキャラ的にもこの残留してまだまだ現役で後藤選手の姿をみたいと思ってるファンはお多いのではないでしょうか?

2018シーズンも契約となれば登録名が「ゴメス」なんてことも期待しちゃいますね!

年俸は?

それでは気になる後藤選手の年俸についてまとめてみました。

まず、西武時代から見ていきましょう。

2003年 年俸1500万円
後藤選手はルーキーイヤーで開幕戦4番を任されるなど101試合に出場し11本塁打を放ちプロ1年目としては上出来なスタートですね。

2004年 年俸2300万円
2005年 年俸2300万円
2006年 年俸1800万円
2007年 年俸1350万円

2004年から2007年は怪我や不調で1軍に定着できず、もちろん年俸はダウン。

2008年 年俸1150万円

2008年には輪太郎君の誕生もあってか再び輝きを放った後藤選手。
ルーキーイヤー以来の二桁本塁打、キャリアハイの12本を放ち日本一に貢献。

父親としての自覚でしょうかね?もちろん年俸が倍以上にアップしました!

2009年 年俸2400万円
2010年 年俸2550万円
2011年 年俸1200万円

後藤選手は2010年、2011年と0本塁打と苦しみ、高校時代を過ごした横浜へトレードで移籍。

怪我も多い選手だったので正直この辺りで戦力外?と思われた方も多いのでは?

そして横浜時代を見ていきます。

2012年 年俸1700万円
2013年 年俸1700万円
2014年 年俸1800万円
2015年 年俸2200万円
2016年 年俸2200万円

横浜に移籍してからの後藤選手はチームの雰囲気がそうさせたのか、お笑い担当の選手に・・・。

西武ではどちらかというと真面目で無口な印象でしたが、その真面目さからかチームに早く溶け込み横浜高校の後輩を中心にいじられてましたね。

すると代打で出場機会は少ないものの高い長打率と代打成功率で首脳陣からの信頼を勝ち取り、再び強打者として輝きを放ちました。

2017年 年俸2200万円

後藤選手は2008年にキャリアハイの打率.301、12本塁打をマークし日本一に貢献しましたが、最高年俸は2550万円と大幅なアップはありませんでした。

ただ、怪我が多く二軍暮らしが続いた時期にも大幅なダウンがなかったことから真面目な性格も評価され、右の大砲として期待されていたことが伺えます。

怪我さえなければもう少しコンスタントに試合に出場でき、年俸5000万クラスにはなっていたと思うだけに、非常にもったいない選手という印象が強いですね。

2018年: 年俸1890万円
登録名を「G.後藤武敏」に変更して挑んだ2017シーズン

溶連菌感染症で開幕から出遅れ復帰したのが夏場ということで、結果的に3安打のみなのでダウン提示も無理もないですね。

チーム自体は優勝できる戦力が整っているだけに貴重な右の代打として1打席が大事になってくると思うので、リーグ制覇に大きく貢献してほしいですね。

横浜高校時代について

最後に後藤選手の高校時代に触れてみたいと思います。

後藤選手といえば、横浜高校で松坂大輔らとともに甲子園春夏連覇をしたときの三番ファーストの選手でした。

後藤選手は中学時代、地元の浜松シニアで全国準優勝になり、鳴り物入りで横浜高校に入学すると、1年夏の甲子園からベンチ入りし代打でヒットを放つなど高校生としても絶好のスタートに見えましたが・・・。

春夏連覇をかけた夏の甲子園では腰に痛み止めを打って出場していましたが、大ブレーキ。

PL学園との延長17回の死闘では7打数ノーヒットでした。

準決勝の明徳義塾戦では同点タイムリーを放ったものの、春夏連覇の横浜の3番打者としては少し物足りない派手さのない選手だったかもしれません。

ただ、当時の映像を見てみても、打席内での口をあんぐりと開けうなづく表情が、今も全く変わってませんよね。

その後、後藤選手は法政大学に進学し、2年春のリーグでは三冠王を獲得するなど着実にキャリアアップし、高校時代のチームメイトの松坂投手、小池選手が待つプロの世界に踏み込んでいきました。

まとめ

ここまで、横浜DeNAベイスターズの後藤武敏選手の戦力外と引退の噂から色々とまとめてみました。

かつて輝きを放った「松坂世代」も第一線で活躍する選手が少なくなってきています。

豪快なホームランとバット投げ。

ぜひ後藤選手には最後にもう一花咲かせてもらいたいです!

まだまだ現役で見てみたい選手ですね!