2003年、2005年と2度の優勝に貢献した
安藤優也投手
が引退を表明しましたが、今後の去就はどうなるのでしょうか。
阪神一筋の安藤投手の生涯年俸や成績をチェックしてみましょう。
安藤投手といえばコントロールが評判ですがその秘密にも迫っていきます。どうぞご覧ください。
安藤優也が引退!去就はコーチ就任?
阪神一筋で16年に渡って投手陣を支えた安藤優也投手が引退を表明しました。
2017年は開幕から一度も1軍登板がなく、ファンも覚悟をしていたところではありますが、自分の現在の持ち場であるブルペンに桑原投手などの次の世代が育ったことを見届けての引退は安藤投手らしい決断ではなかったでしょうか。
安藤投手は入団以来リリーフと先発を両方経験しています。
自らの希望は常に先発投手であったようですが、時々のチーム事情によってブルペンを支え、チームの力になっていました。チーム事情に合わせて、周囲の期待を意気に感じて投げる、そんな投手であったと思います。
現在の金本監督がまだ現役選手時代のことです。
当時の阪神は2005年に優勝した後しばらくは最強のリリーフ陣JFKを擁して常に優勝争いに加わっていましたが、先発投手はどちらかといえば手薄で、先発の軸でもあった安藤投手の頑張りが不可欠でした。
金本選手はある年のシーズンオフに、安藤投手と次シーズンの成績で賭けを持ちかけたわけですが、その内容とは安藤投手が二桁勝利をすれば金本選手から高級腕時計が贈呈される、できなければ安藤投手が「パンチパーマ」にするというものです(笑)
一見遊びのような賭けに思えますが、当時打線の中心であった金本選手にしてみれば優勝するには安藤投手の頑張りが必要と考えていたからに他なりません。
結果は8勝に終わり、最後は安藤投手が「泣き」を入れてパンチパーマを免除され、丸坊主になるという「落ち」が付きましたが、そういった周囲の期待を意気に感じて投げる安藤投手らしいエピソードです。
また、晩年リリーフに再転向してからのこと。JFKの一人で鉄壁の守護神として君臨していた藤川球児投手がメジャーリーグへ去り、クローザーが不在だったブルペンで安藤投手は1歳年上の福原投手と共にリリーフ陣を支えていました。
ある時の京セラドームのヤクルト戦。先発は能見投手。立ち上がりから快調に飛ばしていた能見投手に7回異変が訪れます。1死を取るもののあっという間に満塁となり打席はその年60本塁打を放ちNPBの最多本塁打記録を塗り替えたバレンティン。
絶体絶命のピンチでマウンドに上がった安藤投手はフルカウントからバレンティンを三振に打ち取りピンチをしのぎました。
試合後お立ち台に上がった安藤投手は「死刑台に向かう気分だった」とコメントし笑いを取っていましたが、首脳陣は安藤投手のコントロールに架けてこのゲームの最大の山場を託したのです。
その年、その場面でチーム、ファンの周囲の期待を意気に感じて最高の結果を届けてくれる安藤投手は首脳陣にしてみれば本当にありがたい投手であったといえるでしょうね。
気になる安藤投手の引退後の去就については、数年解説者をしてからコーチに就任するか、引退した翌年にコーチも考えれますね。
引退後はフロントとしてのポストは当然用意されているはずなので、違った形で安藤投手を見れることでしょう。
肩のけがを何度も乗り越え16年現役を続けた投手ですので、引退後はぜひコーチ就任を期待したいものですね。
生涯年俸は?全盛期の成績が凄い!
安藤投手は阪神一筋16年で生涯年俸は11億1600万円です。
そんな安藤投手の年俸推移と成績を一緒に見ていきましょう
2002年:1500万円
2003年:1500万円
2002年:17試合登板/3勝/5敗/防御率3.77
2003年:51試合登板/5勝2敗/5S/防御率1.62
1年目は先発として期待されましたが、負けが先行、2年目に星野監督からセットアッパーに抜擢され大活躍し優勝に貢献しましたね。
2003年の優勝の陰の立役者といっても過言じゃないでしょう。
2004年:4100万円
2005年:4600万円
2004年:57試合/5勝8敗/5S/防御率3.58
2005年:24試合/11勝5敗/防御率3.39
2005年からは先発に再転向し、初の二桁勝利。貯金を6作り、優勝に大きく貢献しました。
しかもこのシーズンはリーグトップの勝率を残しています。
2006年:7800万円
2007年:9800万円
2006年:31試合/10勝3敗/3H/防御率3.35
2007年:8試合/2勝3敗/1H/防御率4.36
2006年も先発の軸として7つの貯金を作りましたが、2007年は肩の故障で初登板が8月ということで、ほとんどを2軍で過ごした悔しいシーズンとなっています。
2008年 7800万円
2009年:1億2000万円
2010年:1億1000万円
2008年:25試合/13勝/9敗/防御率3.20
2009年:28試合/8勝/12敗/防御率3.90
2010年:19試合/2勝/3敗/防御率7.27
3年連続で開幕投手を務め、年俸も1億円を超えた黄金期になりますが、徐々に肩の故障の影響で数字を落としていきます。
2010年は減量に取り組むもそれが反対にボールの力を削ぐ形になってしまい成績が急降下しました。
この2010年は打線が凄かったのですが、わずか1ゲーム差で優勝できなかった理由としては投手陣が不安定だったので、安藤投手的にも悔しいシーズンだったことでしょう。
2011年:7700万円
2012年:5800万円
2013年:5000万円
2011年:1試合/0勝0敗/防御率16.20
2012年:13試合/3勝7敗/防御率4.05
2013年:58試合4勝2敗/1S/23H/防御率2.28
肩の故障の影響から未勝利だった2011年、そしてそこからなかなか本来のボールを取り戻すことができずにもがいていた2012年。
2010年を含めての3年間はキャリアの中でも最も長い低迷期でした。2013年はリリーフに再転向。
クローザーに指名された久保が結果を残せずクローザー不在となったブルペンを日替わりクローザーの一員として必死に支え、再び輝きを取り戻しました。
2014年:7500万円
2014年/53試合/6勝2敗/23H/防御率3.80
若干成績は落としたものの、相変わらず50試合以上の登板でブルペンを支えました。
この年からクローザーに呉が加入し、その前を担う投手として安定した活躍を見せてくれましたね。
中継ぎは入団当初もされていましたが、まさかここまでの復活があるとは思いませんでした。
2015年:8500万円
2016年:8200万円
2017年:8800万円
2015年:50試合/5勝4敗/15H/防御率3.02
2016年:50試合/0勝1敗/11H/防御率2.53
中々世代交代の進まないブルペンを福原投手と共に支えた2015、2016年。
改善の改善もそうですが、「おっさんリリーフ陣」と揶揄されながら意地の連続50試合登板を達成しています。
チーム最年長として挑んだ2017年は若手起用が中心で1軍登板がなくなっていましたね。
こう見てみると中継ぎとしても先発としても阪神の中心人物に君臨できたことは歴代の阪神でもなかなかいないんじゃないでしょうか。
16年間、本当にお疲れ様でした!
安藤といえばコントロール!
安藤投手の生涯の四球は311個。投球回数が1120回ですので、9イニングあたりにに換算すると2.49個。
安藤投手をみてコントロールに苦しむシーンは殆どありません。
同年代でコントロールの良い投手の代名詞であった三浦大輔氏の生涯の成績は9イニングあたり、2.42個ですので、三浦投手に匹敵するコントロールの持ち主であったことは数字にも表れています。
現在はコーチを務める矢野氏が現役時代に構えたところからミットを動かさずに受けられたのは安藤だけ、リードしていて楽しい投手だったと述べていたようにその制球力は若い頃から折り紙つき。
入団当初は150km近いストレートを投げておりどちらかといえばパワーピッチャーに該当していた安藤投手ですが、肩のけがなどの影響で球威が落ちた後も活躍を続けられたのはこの制球力があってのものでしょう。
外角の真っすぐ
安藤投手より1年年上で、2016年に引退した福原忍投手は引退会見で、入団した時に野村監督から「外角の低めに投げられるように練習しなさい」と言われたことが印象に残っていると述べました。
それくらいアウトコース低めへ投げることは、プロアマ問わず投手にとって大切なことです。
それ故、アウトコース低めのことを「原点」と呼びます。その原点へ糸を引くようなストレートを投げ込めることが安藤投手の最大の魅力でしたね。
原点へ良いボールを数多く投げ込むには、安定したフォームが不可欠です。
安藤投手のフォームはゆっくり左足を上げて腕の振りがそれほど速くみえないところから力のあるストレートが来る、藤川球児投手曰く「理想のフォーム」。
入団当初は2段モーションでしたが、NPBで2段モーションが禁止になってもそれをきっかけに制球を乱すようなことがなかったのはやはりバランスの良さ故でしょうね。
シュート
安藤投手のピッチングの組み立ては、基本的には外角の低めにストレート、同じ軌道に乗せるスライダーとフォークで打ち取るというものですが、外角一辺倒ではプロの打者は踏み込んで打ってくるため抑えることができません。
またインコースのストレートはいかに制球のいい安藤投手といえども危険性が高いです。
そこで時折投げるシュートが組み立てのアクセントになっていました。
投球比率としてはわずか6~7パーセントですので、先発投手として100球投げても1試合に6~7球ですが、それが打者の残像となり、アウトコースのボールを打ちづらくする効果がありますね。
特にストレートの球威の落ちた晩年はこのボールをうまく使ってアウトコースのボールを生かしていました。
まとめ
安藤投手は1977年生まれ。NPBの現役日本人選手の1977年生まれは福留選手、荒木選手の2人のみ。
選手寿命が長くなったとはいえ、40歳まで、しかも投手で現役を続けられたことは素晴らしいですよね。
特に阪神タイガースで生え抜き選手で長く現役を続けた選手は引退後の「転がり方」が違うと言われます。
その経験を現場やメディアも欲しがりますし、引退後も忙しくなりそうですね。
今後の安藤優也投手の動向に目が離せません!