新井貴浩

今回は広島カープ戻って二度の優勝を経験した

新井貴浩選手

2000本安打も達成されておりますし、新井選手にとっては完全燃焼といっても過言じゃありません。

2016年の黒田さんの引退のように、新井貴浩選手の引退もあるのでしょうか?

そんな新井貴浩選手の引退の噂についてとりあげていきます!

また、嫁との馴れ初めや子供も調査!

そして、年俸推移についてもまとめています。

ぜひご覧ください!

2018シーズンをもって引退表明

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新井貴浩に引退の噂?引退時期は?

2015年、8年ぶりに広島カープに復帰した新井貴浩選手。

2016年、2017年のセリーグ制覇に大きく貢献しました。

ここに来て心配されるのが、引退の噂です。

そんな新井選手も2017年で40歳で当然ながら引退の噂も出てきてるわけですよね。

2016年、25年ぶりの優勝を果たしたカープが日本シリーズ進出を決めた10月18日、チームの柱であった黒田選手の引退会見が開かれました。

黒田さんが本格的に引退を考えたのは優勝が決まってからということですから、新井選手は阪神時代では叶わなかった優勝を2年連続で経験したことで、


やり残したことはないんじゃないか?

もしかしたら、黒田投手と同じようにクライマックスを勝ち抜いてから


日本シリーズに入る前に引退発表か!?

というように、新井選手も黒田さんと同じ道を辿るのではと心配されている方も多いようですね。

新井選手引退説が濃厚になっている感じがしますが、黒田さんの引退の理由は

「カープの優勝」と「完投できなくなった」ことだそうです。

リリーフではまだやれたのかもしれませんが、黒田さんのポリシーが「先発完投」だったわけですね。

一方、新井選手の引退、というか引き際についての考え方ですが、

「チームとして必要とされる限り、懸命なプレーを続けたい。それでもダメならスッパリ
と、この世界から身を引く覚悟はできています」

と言っています。

「チームとして必要とされる限り」という言葉だけを見れば、代打などで新井選手の活躍の場はまだまだあるでしょう。

しかし、広島復帰を決めた理由は「もう一度レギュラー争いがしたいから」というものでした。

2017年は98試合の出場にとどまっており、4番には鈴木誠也選手が育っていますし、鈴木選手が怪我で抜けたあとも松山選手がしっかりと穴を埋めていますね。

代打やチームリーダーとして必要とされているとは思いますが、年齢的にもレギュラーとして出続けるのは年々難しくなっていくでしょう。

そして、もう一つ気になるのが日本一を達成した場合。

リーグ優勝したとはいえ、2016年は日本シリーズで敗れて終わっているわけなのでやり残したことといえば日本一の栄光となりますね。


次こそは日本一に!

という思いが大きな原動力になっていたことでしょう。

2017年、日本一を達成すれば今までに感じたことのない達成感を感じるはずです。

その時、新井選手の気持ちがどうなるのか…

燃え尽き症候群のようになり、電撃引退!なんてこともあり得るかもしれませんね。

嫁との馴れ初めと子供について

ここでは新井貴浩選手の子供についてみていきます。

新井選手はもともと在日韓国人でしたが、2004年に帰化しています。

そしてこの年のオフに『乙女塾』第6期生の大橋裕美子さんと結婚。

大橋さんは新井選手より2つ年上で、駒澤大学時代からのお付き合いだそうですね。

ちなみに大橋さんは韓国人という情報はなく、生粋の日本人です。

子供については二人の息子さんがいて、2005年に亮規浩くんが、2007年颯真くんが誕生
新井貴浩・子供

颯真くんは絵が得意らしく、甲南小学校在校時には何度か佳作に選ばれており、調べてみると新井選手が阪神のユニフォームを着ている絵もありましたね。

そんな新井貴浩選手の子供の学校については「関学」というキーワードも見かけるのですが、残念ながら繋がりは分かりませんでした。

これは新井選手が阪神に在籍していたことから、浮上したキーワードだと思いますが、鳥谷選手のお子さんが関学ということで、新井選手の子供もしかしたら関学?っていう感じで調べられていたのかもしれませんね。

年俸推移

ここからは新井選手の年俸推移を見てみましょう。

1999年 600万円
ルーキーイヤーから出場機会を得て、53試合に出場し打率は.221を記録。

大学では通算2本塁打しか打てなかったにも関わらず、いきなり7本塁打を記録。

ドラフトにかかるかギリギリだった選手から、将来の4番候補として期待されます。

2000年 800万円
前年より出場試合数を増やし、92試合に出場、打率.245を記録します。ホームランも前年を上回る16本。

プロ入り直後は「3年持てばいい」と言われていましたが、プロでやっていける手応えを掴んだとなりました。

2001年 1500万円
規定打席には届かなかったものの、124試合に出場しレギュラーに定着します。

打率.284・18本塁打・56打点の成績は、レギュラー1年目としては上々と言えるでしょう。

2002年 2200万円
2002年は140試合フル出場し、前年惜しくも届かなかった規定打席に到達。
打率.287、ホームラン28本、75打点を記録し、オールスターにも初出場を果たします。

2003年 4500万円
阪神に移籍した金本知憲(現阪神タイガース監督)の跡を継ぐ形で開幕から4番を任されます。

しかし精神的支えでもあった金本の穴を埋めることはできず、137試合の出場で打率.236、ホームラン19本、62打点と成績を落とし、シーズン最後まで4番に座り続けることはできませんでした。

2004年 4000万円
引き続き打撃の調子は奮わず、103試合の出場に留まり打率.263・10本塁打・36打点の成績で規定打席到達も逃します。
この年日本に帰化し、私生活では大橋さんと結婚。

2005年 3800万円
過去2年成績が伸び悩んでいたため、内田順三コーチの指導のもとフォーム改造に着手します。

これが功を奏し、初めての3割越えとなる打率.305を記録します。球団タイ記録の6試合連続本塁打を放つなどホームランも量産し、43本塁打で本塁打王を獲得しましたね。

一塁手部門で自身初のベストナインにも選ばれました。

2006年 8800万円
年俸が倍増した2006年は146試合に出場。打率.299、ホームランは25本と減らしますが、打点では前年を上回る100打点を記録します。

一方で、四球の少なさから選球眼の悪さを指摘する声もありました。

2007年 1億2300万円
初の大台一億円を突破した2007年は、指摘されていた選球眼の悪さを克服し、自己最多の55の四球を選びます。

トータルの成績は144試合に出場、打率.290、28本塁打・102打点を記録。名実ともにカープの顔になっていましたが、悩み抜いた末FA権の行使を決断し阪神へ移籍が決まりました。

「辛いです・・・」という涙の会見が印象的でしたね。

2008年 2億円
生涯赤ヘル宣言をしたこともありながら、FA権行使で阪神へ移籍した初年度。

広島ファンからの激しいブーイングを浴びてのスタートとなります。

4月に通算1,000本安打を達成するなど前半は 好調で、チームの首位独走に貢献。

しかし北京五輪に腰痛を押して出場したことが響き、シーズン成績は94試合に出場、打率は.306とまずまずだったもののホームランと打点は8本塁打・59打点と大きく落ち込みます。

首位を独走していたチームも最大13ゲーム差を逆転され優勝は叶いませんでした。

しかし一塁手部門で自身初となるゴールデングラブ賞を受賞、オフには選手会会長に就任します。

2009年 2億円
144試合に出場、打率.260ホームラン15本、82打点と前年腰痛で苦しんだ割にはそこそこの成績を残しましたが、リーグワーストの20併殺打を記録するなどチャンスに弱いというイメージがついてしまい阪神ファンからヤジの標的になります。

2010年 2億円
阪神へ移籍後初めて4番に座ります。

ほぼ全ての試合で4番を打ち続け、打率と打点は自己最高を記録。
2年連続のシーズンフルイニング出場を達成し、打率.311、ホームラン19本、112打点で文句のない成績を残します。

2011年 2億円
3月に発生した東日本大震災により、開幕時期を巡ってリーグと選手会が対立。

選手会会長として調整に奔走し、選手会の要求通り開幕の延期が決定します。

シーズン中は一時的に打撃不振に陥り打率.269、ホームラン17本と打率は奮わなかったが93打点をあげ打点王のタイトルを獲得しました。

2012年 2億5000万円
開幕4番でスタートしますが、右肩痛の悪化により打撃不振に陥り6番に降格します。

9月には登録抹消などもあり、122試合の出場にとどまり2008年以来続けていた全試合出場を逃します。

規定打席には到達したものの、打率.250・9本塁打・52打点で阪神移籍後最低の成績に終わってしまいました。

シーズン限りでプロ野球選手会会長職を嶋基宏に譲ります。

2013年 2億5000万円
2013年は2005年以来の開幕スタメン落ちとなってしまいます。

しかし弟の良太の故障離脱によりスタメンの機会を得て、6月には通算1,000打点を達成。

オールスターゲームにも出場し2戦目で決勝打を放ちMVP、3戦目では敢闘賞に選出。

140試合に出場、打率.267ホームラン15本打点70点で前年よりはやや成績を上げました。

2014年 2億円
シーズン中には特に大きな故障はなかったものの、94試合の出場に留まり、打率.244、ホームラン3本、31打点と低迷します。

チームはクライマックスシリーズを勝ち抜き日本シリーズに進出しましたが、新井選手は腰痛で出場できませんでした。

契約更改で1億円以上の減額を提示され、翌年からは代打起用が中心になることなども理由となり自由契約の道を選択。

レギュラー争いの中に身を置く覚悟をし阪神が提示した7000万円の半分以下の2000万円で広島への復帰を決めました。

2015年 2000万円
FAで移籍した選手では初めて、広島に復帰を果たします。

キャンプ中は好調を維持していましたが、開幕直前の右肘関節炎のため開幕スタメンはなりませんでした。

しかし代打起用を経て4月からは4番に定着。オールスターゲームにもファン投票で選ばれ、2戦目に敢闘賞を獲得。

2016年 6000万円
2016年から、愛着のある背番号「25」に戻ってスタート

4月に史上47人目となる2000本安打を達成すると、8月には300本塁打を達成。

132試合に出場、シーズンを通して4番に座り打線を牽引。打率.300、19本塁打、100打点の記録を残し、25年ぶりのセリーグ制覇に貢献。最終的にベストナイン、リーグMVPを受賞。

リーグMVPは最年長での受賞ということで、阪神時代を見てみると誰もが予想できなかったことですよね。広島が合っていたのかなという印象が強いですね。

2017年 1億1000万円

前年の活躍が評価され、見事一億円プレイヤーに返り咲きます。

前年の成績には及びませんが、チーム最年長として二連覇を支えましたね。

今後新井選手が引退しても広島のフロントも用意されていることだと思うので生涯広島で頑張ってほしいですね

2018年:1億1000万円
2017シーズンは年齢のこともあって、代打での出番が多くなったわけですがそれでも阪神時代にはない勝負強さが光っていた印象があります。

現状維持ということですがこれもチームが優勝したことが大きな理由となっているんでしょうね

まとめ

今回は新井貴浩選手の引退の噂を中心に、嫁や子供についても見てきました。

新井選手といえば、阪神時代の苦悩が印象残っています。ファンのヤジが人一倍凄かった印象がありますから。

新井選手が優勝を経験するために阪神に移籍したわけですが、広島カープに戻って2度の優勝を経験できるなんて思ってもいなかったでしょうね。

しかも主力選手としてタイトルまで獲っていますから。

師弟コンビだった阪神に金本監督も驚いているかもしれませんね笑

引退について本人はどう考えているかわかりませんが、今後の動向に注目しておきたいと思います!