日本ハムの歴代ドラフト1位!
日本ハムファイターズからドラフト1位指名で入団した選手の活躍した選手と活躍できなかった代表例を厳選してみました。
日本ハムといえば、近年は清宮幸太郎選手や吉田輝星選手を1位指名するなど、話題の選手を獲得し人気も上昇していますね。
過去にはダルビッシュ有投手の1位指名や、メジャー行きを表明していた大谷翔平選手を強行指名し見事獲得に成功するなどドラフトや選手補強に関しては非常に上手い球団ですね。
それでは、ドラフト1位で活躍した選手と失敗した選手15選を紹介していきます!
目次
日本ハムの歴代ドラフト1位【活躍】
日本ハムの歴代ドラフト1位で活躍した選手はこちらです!
西崎幸広
1986年ドラフト1位で入団
通算成績:330登板/127勝102敗/22S/防御率3.25
愛知の大学リーグで数々の記録を打ち立て、エースナンバーを背負った西崎投手。
入団1年目から先発ローテーションとして活躍し15勝を挙げると、2年目にも15勝を挙げパ・リーグ最多勝に。
入団から5年連続で二桁勝利を挙げるなどチームに貢献してきました。
また、長身に甘いマスク、私服もお洒落で女性ファンからも人気がありましたね。
木田勇
1979年ドラフト1位で入団
通算成績:273登板/60勝71敗/6S/防御率4.23
1978年に広島のドラフト1位を拒否し、翌年に日本ハム入りした木田勇投手。
すると、1年目の1980年には22勝を挙げ225奪三振、防御率2.28という新人離れした成績をマークしました。
26試合の先発で完投が19。投球回数253もパ・リーグトップで、打高投低だった年に圧倒的な成績で史上初の新人でのMVPを獲得しました。
その後は成績を落としましたが、インパクトのあるデビューをしたことから活躍したと言うに相応しいでしょう。
武田一浩
1987年ドラフト1位で入団
通算成績:341登板/89勝99敗/31S/防御率3.92
先発中継ぎ抑えと様々な起用法に応えた右腕の武田一浩投手。
1990年にリリーフながら10勝をマークしブレイクすると、1991年には18セーブを記録し最優秀救援投手のタイトルを獲得しました。
その後、先発再転向すると1993年には二桁勝利を挙げましたが、結局は4球団を渡り、史上3人目の全球団勝利を記録するなど激動のプロ生活でしたね。
白井一幸
1983年ドラフト1位で入団
通算成績:1187試合/打率.246/49本塁打/334打点/168盗塁
俊足巧打でつなぎの野球に徹した内野手の白井選手。
入団1年目から代走や守備固めで一軍に定着すると、その後レギュラーに定着し、1987年にはリーグ最多の30犠打を記録しながらも15本塁打を放つなど長打力アップに成功しました。
その後は怪我もありましたが、1991年に自身最高の打率.311を残しカムバック賞を獲得すると、再びレギュラーとして活躍しました。
金村暁
1994年ドラフト1位で入団
通算成績:271登板/89勝81敗/2S/防御率3.89
日本ハムの北海道移転時期にエースとして活躍した金村投手。
3年夏の甲子園で8強入りし、自身がファンだった日本ハムに入団すると4年目の1998年にブレイク。
中継ぎで一軍に定着すると、後半戦は先発ローテ入りし最優秀防御率のタイトルを獲得しました。
怪我も多く、「ガラスのエース」とも呼ばれていましたが、2002年から2005年まで4年連続で二桁勝利を挙げるなどエースとしてチームを支えました。
上田佳範
1991年ドラフト1位で入団
通算成績:1027試合/打率.236/37本塁打/192打点/36盗塁
夏の甲子園で3試合連続完封をするなどポテンシャルの高さを買われ入団した上田選手。
しかし、一軍登板のないまま肩の故障もあって2年目からは外野手に転向します。
すると、持ち前の打力も開花し1997年にはレギュラーに定着し、打率.300をマークするなどブレイクしました。
その後は再び怪我に苦しみましたが、当時の野手転向の成功例とも言える活躍を見せてくれましたね。
ダルビッシュ有
2004年ドラフト1位で入団
変幻自在な投球でメジャーでも活躍するダルビッシュ投手。
2年目の2006年に12勝を挙げ先発ローテに定着すると、2007年には最多奪三振のタイトルを獲得しました。
長身から150キロを超える直球とスライダーやカットボールなど多彩な変化球を操り三振の山を築いてきました。
6年連続で二桁勝利を挙げると、2011年オフにポスティングでメジャーリーグのレンジャーズへ移籍。
現在もメジャーで活躍していますが、NPBの7年間では93勝、1250奪三振、防御率1.99と圧倒的な成績を残しました。
大谷翔平
2012年ドラフト1位で入団
160キロを超える速球とポテンシャルの高さを生かした打撃で二刀流として活躍する大谷選手。
高校時代から注目されていましたが、本人はメジャー思考が強く、ドラフトでは各球団指名を避けましたが、
強行指名し栗山監督の説得で入団しました。
1年目には投手として3勝、打者としては3本塁打を放ちましたが調整の難しさなどにも苦しみましたね。
しかし、2年目には11勝を挙げ、本塁打も10本と対応力の高さを見せました。
5年間で投手として42勝、打者として48本塁打と結果を残しエンゼルスへ移籍。
メジャーでの二刀流について賛否両論ありましたが、結局は両方で成功を収めています。
今は怪我もあり、野手での出場に専念していますが、いずれはメジャーでも二桁勝利二桁本塁打という未開の境地を見せて欲しいですね。
日本ハムの歴代ドラフト1位【失敗】
日本ハムの歴代ドラフト1位で失敗した選手はこちらです!
尾崎匡哉
2002年ドラフト1位で入団
通算成績:25試合/打率.176/0本塁打/1打点
大型内野手として高いセンスを評価され入団した尾崎選手。
二軍戦では打撃成績を伸ばし、一軍昇格のチャンスを待ちましたが、出場機会に恵まれずアピールできませんでした。
捕手転向などもありましたが、結局は12年間で25試合出場とプロ生活は失敗に終わりましたね。
矢野諭
1996年ドラフト1位で入団
通算成績:39登板/2勝3敗/2H/防御率5.46
ポテンシャルの高さを買われドラフト1位で入団した矢野投手。
1年目にはプロ初登板初勝利を挙げ開花を予感させましたが、その後は怪我にも苦しみ10年のプロ生活で新人時代の2勝のみに終わりました。
2005年にリリーフとして一軍の座を掴みましたが、安定感を欠き戦力外となりましたね。
住吉義則
1990年ドラフト1位で入団
通算成績:30試合/打率.159/0本塁打/2打点
社会人プリンスホテルの主軸として活躍し、全日本の4番も経験するなど即戦力として期待された住吉選手。
1年目から一軍で27試合に出場しましたが持ち前の打力をいかせず、その後は伸び悩みわずか6年で現役を退きました。
ドラフト1位で期待が高かっただけに、失敗に終わった選手でしょう。
石井邦彦
1997年ドラフト1位で入団
通算成績:1登板/0勝1敗/防御率9.00
1997年にドラフト1位で入団した石井邦彦投手。
1年目に初登板初先発しましたが2本塁打を浴びるなど4失点でKO。
結局その後一軍マウンドに上がることはなくわずか5年で現役生活を終えました。
福島秀喜
1975年ドラフト1位で入団
一軍出場なし
高校時代に中日から指名を受けるも、社会人に進み、その後日本ハム入りした福島投手。
背番号20と期待を寄せられましたが一軍戦に登板することなくわずか3年で引退しました。
誰が見ても失敗と言えるでしょう。
中村勝
2009年ドラフト1位で入団
長身右腕の中村勝投手。
2009年に外れ1位で入団すると、1年目にプロ初勝利をマークします。
その後伸び悩みましたが、5年目の2014年に自身7連勝を含む8勝を挙げるなど先発ローテーションとして活躍しました。
しかし、その後は怪我で戦線離脱が続いていて引退の噂も出ていますね。
なんとか復活してもらいたいです。
斎藤佑樹
2010年ドラフト1位で入団
「ハンカチ王子」の呼び名で一世を風靡した斎藤佑樹投手。
1年目に6勝を挙げるなど、将来のエースとして期待された存在でしたがその後は伸び悩み、2年間勝ち星から遠ざかっています。
2019年も勝利のチャンスを掴みきれませんから、引退や戦力外も噂されています。
西武の大石投手、楽天の福井投手ら早稲田大学の同期たちと刺激しあって再起してもらいたいですね。
まとめ
以上、日本ハムファイターズの歴代ドラフト1位選手の活躍・失敗選手をまとめてみました。
活躍した選手は
・西崎幸広
・木田勇
・武田一浩
・白井一幸
・金村暁
・上田佳範
・ダルビッシュ有
・大谷翔平
失敗した選手は
・尾崎匡哉
・矢野諭
・住吉義則
・石井邦彦
・福島秀喜
・中村勝
・斎藤佑樹
となりました。
特徴としては、投手の成功例が多いことでしょうか。
特にダルビッシュ有投手や大谷翔平選手を成長させた功績は計り知れないでしょう。
一方で野手では外国人の大砲に頼ることが多いのも特徴で、2007年ドラフト1位の中田翔選手が主砲へと成長したのも大きな成功だと思います。
他球団にも言えることですが、失敗例には怪我が原因となることが多いです。
高校時代の登板過多が懸念しされた2018年ドラフト1位の吉田輝星投手も、しっかり体づくりをして長くプロで活躍してもらいたいですね。