プロ野球には必ずつきまとう戦力外という言葉。各球団は所属人数が決められているため、毎年ドラフトなどで有望な選手が入ってくれば、所属人数を超えた選手が戦力外となりプロ野球を去っていきます。
でも、ごく少数ですが、ひとつの球団を戦力外になっても再び輝きを取り戻す選手がいる!
ドラフト1位で巨人に入団して3年で戦力外となり、米国に渡ってパフォーマンスを上げて凱旋
NPB初勝利を上げた日本ハムの
村田透選手
もその一人
そんな村田投手の結婚や、巨人を戦力外になった理由について。また現在の年俸や球種、そして日本ハムでの評価についてもチェックしてゆきます。
どうぞご覧ください
村田透は結婚してる?嫁や彼女をチェック
プロ野球選手は若くして結婚する選手も多いですし、社会人野球出身の選手などは嫁、子供持ちで入団してくる選手もいます。
そんな村田透投手は1985年5月20日生まれで結婚しててもおかしくはありませんよね。
ただ、村田選手は予想外に早く巨人を戦力外になって米国に渡ったためにチャンスを逃したのか、現在も独身のようです。
米国では主にマイナーリーグに所属。日程や移動がハードなことで知られるマイナーリーグ、しかも異国ではなかなか彼女を作るのも難しかったのかもしれません。
彼女は居るとは思いますが、残念ながら詳しい情報はありませんでした。
これからの結婚報道を楽しみということで!
日本ハムは割合自由なチームカラーとの噂。これから活躍して彼女を作って結婚という風に私生活も充実させて欲しいですね。
巨人を戦力外になった理由は?
2007年の大学・社会人ドラフト1位で入団した村田選手は1年目に怪我をしてファームで9試合の登板に終わっています。
2年目に26試合を投げますが一度も一軍昇格はなし。
3年目はファームの開幕からローテーションを任せられますが序盤で結果が出ず、その後は登板数も極端に少なくなり6試合の登板に終わり、結局そのオフに戦力外に。
一軍に一度も呼ばれることありませんでした。
巨人を戦力外になった理由は何だったんでしょうか?
⇒プロ野球トレードの噂2017【巨人編】注目選手を予想してみた
ひとつはこの時期の巨人のファームの選手は非常にチャンスが少なかったということがあります。
巨人は2005年に13名、2006年に18名、2007年に11名もの選手をドラフト指名しています。
「育成の巨人」と銘打って大量のドラフトと育成選手を獲得したことによってひとりに与えられるチャンスが限られてしまったのですね。
もうひとつは村田選手はこれといった特徴で勝負する投手ではなかったということ。
まとまりはありますがストレートがめっぽう速いわけでも、わかっていても打てない変化球があるわけでもなかったためよけいにチャンスがもらえなかったのではないでしょうか。
ドラフト1位選手を3年で戦力外にしてしまうことに抵抗がなかったわけではないでしょうが、チーム事情とたくさんの若手の中で目立つことができなかったが故、力を発揮しないうちに戦力外通告を受けてしまったという印象。
しかし戦力外通告は次のチャンスのきっかけになることもある。事実、村田選手は戦力外になったために受験したトライアウトで米国インディアンスのスカウトの目にとまりチャンスを手にしたわけですからね。
年俸は?球種と評価についても
米国で結果を残し、見事日本のプロ野球に凱旋することができた村田選手の日本ハムでの年俸はこちら
2017年:年俸3500万円
2018年:年俸3500万円
ちなみに巨人時代の年俸はこちら。
2008年:1200万円
2010年:800万円
2009年:980万円
いかに3Aで活躍したとはいえMLBでの登板は1試合なので日本プロ野球の一軍で全く実績のない選手としては十分以上の評価ですね。
日本ハムの栗山監督が
「どうしても欲しかった投手」
とコメントしていたように非常に高く評価されていた模様。
そんな村田投手はどのような投手なのでしょう
そして球種や球速についてなのですが、
球速は140km~145km前後でプロのローテーション投手としてはそれほど速いというわけではありません。
球種はストレートの他に、スライダー、フォーク、カーブ、シュート(シンカー)と持ち球は豊富。
投球の約60%がストレートとスライダーであるように、この2つを軸にベース板を広く使って他の変化球を散らしながら打ち取るタイプ。
球威や決め球で押すタイプではないのでやはり先発向きということになり、役割としてははまず長い回を投げ試合を作ることを求められます。
パワーに勝る米国の打者を力ではなく球種全部を使い投球のコンビネーションで打ち取ってきた点を日本ハムは大きく評価しているのでしょう。
まとめ
米国のマイナーリーグは日本の2軍のように恵まれてはいません。
長距離移動以外はバスで移動し、年俸も安い。野球以外のアルバイトをこなして生計を立てている選手も多い。
日本のドラフト1位で指名され、チャンスももらえず戦力外になった選手が、マイナーリーグの一番下のルーキーリーグからやり直すことは簡単なことではないはず。
村田選手は日本時代にはなかったハングリーな環境で強さを身につけ、自らの能力を開放することができたのでは。
巨人時代も米国時代も無駄ではなかったと本人が言う通り、村田透のプロとしての歩みはここから始まってゆくのでしょう。