オリックスの歴代ドラフト1位

オリックスの歴代ドラフト1位!

オリックスバファローズからドラフト1位指名で入団した選手の活躍した選手と活躍できなかった代表例を厳選してみました。

オリックスのドラフトといえば、社会人や大卒を中心に獲る即戦力重視の特徴がありますね。

ここ数年は田嶋大樹投手や山岡泰輔投手など社会人あがりの投手が活躍し、大卒の選手も入団間も無く一軍に定着していますね。

それでは、前進のオリックスブルーウェーブ、近鉄バファローズ、阪急ブレーブスも含めドラフト1位で活躍した選手と失敗した選手15選を紹介していきます!

スポンサーリンク

オリックスの歴代ドラフト1位【活躍】

オリックスの歴代ドラフト1位で活躍した選手はこちらです!

平井正史

1993年ドラフト1位で入団
通算成績:569登板/63勝43敗/84H/41S/防御率3.31

宇和島東高校時代に甲子園で活躍し、オリックスのリリーフエースだった平井投手。

最速157キロの速球と落差あるフォークを武器に2年目に53試合に登板し、15勝27セーブの成績でブレイク。

その後も引退までの21年間で569試合に登板するなど、ブルペンを支えてきました。

現在はオリックスの一軍投手コーチとしてチームに貢献しています。

野茂英雄

1989年ドラフト1位で入団
通算成績(NPB):139登板/78勝46敗/1S/防御率3.15

トルネード投法で日米で活躍した野茂投手。

1989年のドラフトでは史上最多の8球団が競合から近鉄に入団。

契約金は史上初めて1億円の超えるなど、大いに注目されました。

すると、1年目から最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手四冠を独占し、新人王、沢村賞、MVPとタイトルを総なめしました。

すると、入団から4年連続で最多勝と最多奪三振を獲得するなど5年間で78勝、1204奪三振と圧巻の成績を残しその後はメジャー通算123勝を挙げ、成功者として名を残しました。

阿波野秀幸

1986年ドラフト1位で入団
通算成績:305登板/75勝68敗/5S/防御率3.71

スクリューを決め球に打者を翻弄する左腕の阿波野投手。

1986年に3球団競合の末、近鉄入りすると、1年目に15勝に加え最多奪三振のタイトルも獲得し新人王に輝きました。

1989年には19勝で最多勝、入団から4年連続で二桁勝利をマークするなど当時はエースとして活躍しましたね。

その後は巨人、横浜とドラフトで指名された3球団全てをわたり、それぞれ優勝を経験しました。

田口壮

1991年ドラフト1位で入団
通算成績(NPB通算):1222試合/打率.276/70本塁打/429打点/87盗塁

オリックス黄金期の外野手で、メジャーでも活躍した田口選手。

関西学院大学で数々の記録を打ち立てると、鳴り物入りでオリックス入りしましたが当時守っていた遊撃手では送球難に苦しみ定着できませんでした。

1994年に外野手に転向すると、ゴールデングラブ賞を獲得し、1995、1996年には連覇に貢献しました。

メジャー8年間でも勝負強さを発揮し、その後はオリックスに復帰するなど愛されてきた存在でしたね。

佐藤義則

1976年ドラフト1位で入団
通算成績:501登板/165勝137敗/48S/防御率3.97

大きく曲がるカーブが特徴の佐藤義則投手。

1994年ドラフト1位で阪急入りすると、1997年にデビューし、7勝を挙げ新人王に輝くと、その後2年連続で二桁勝利をマークします。

しかし、腰痛の影響もあってリリーフに転向し目立った成績を残せずにいましたが1984年に17勝を挙げ復活し1985年には21勝で最多勝き輝きました。

すると引退までの22年間オリックスで活躍し、多くのファンから愛されました。

Tー岡田

2005年ドラフト1位で入団

鋭いスイングで遠くに飛ばすスラッガー、Tー岡田選手。

高校通算55本塁打を引っさげ2005年の外れ1位でオリックス入りしましたが、持ち前の才能をすぐに開花させることが出来ません。

しかし、2010年に岡田貴弘からTー岡田に登録名を変更すると、33本塁打を放ち本塁打王のタイトルを獲得するなどブレイクしました。

2017年には自身初の全試合出場も果たし、もう一度復活が期待されるスラッガーですね。

山岡泰輔

2016年ドラフト1位で入団

鋭く落ちる縦スライダーが武器の先発、山岡投手。

そのスライダーは高校時代にダルビッシュ投手から絶賛されたほどで、その後社会人でも活躍し2016年ドラフト1位で入団しました。

1年目、2年目と先発ローテーションに定着し続けていますが援護に恵まれない試合も多く負け数が先行していますね。

しかし、2019年は安定した投球で、自身初のタイトル最高勝率も見えてきました。

今後もエースとして成長が楽しみです!

スポンサーリンク

オリックスの歴代ドラフト1位【失敗】

オリックスの歴代ドラフト1位で失敗した選手はこちらです!

古川秀一

2009年ドラフト1位で入団
通算成績:63登板/0勝2敗/5H/防御率4.48

甲子園で強豪校を撃破し、「下克上サウスポー」とも称された古川投手。

2009年ドラフト1位で入団すると、1年目にリリーフとして一軍に定着し33試合に登板するなど活躍しました。

しかし、2年目以降は成績を落とし、2015年に戦力外通告を受け一軍未勝利のまま引退しました。

甲斐拓哉

2008年ドラフト1位で入団
通算成績:一軍出場なし

中学時代から140キロを超える直球で注目され、東海大三高からドラフト1位で入団した甲斐投手。

しかし、怪我に泣かされ3年目オフに育成契約となり4年目のオフに再び戦力外通告を受けるなど一軍に上がることなく退団しました。

丹羽将弥

2007年ドラフト1位で入団
通算成績:一軍出場なし

高校通算23本塁打の長打力を期待された丹羽選手。

しかし、プロの壁に苦しみ二軍でも結果を残すことができず一軍出場のないまま僅か5年で戦力外通告されました。

延江大輔

2006年ドラフト1位で入団
通算成績:一軍出場なし

左投げの長身サイドスローの延江投手。

ブレイクが期待された3年目の2010年のキャンプ、オープン戦と結果を残し一軍デビューが期待されましたが練習試合で大乱調と一軍切符を掴み損ねました。

その後も制球難に苦しみ2012年に戦力外通告されました。

実績のない高卒投手だけに、失敗に終わってしまいましたね。

川口知哉

1997年ドラフト1位で入団
通算成績:9登板/0勝1敗/防御率3.75

平安高校時代に高校生左腕三羽ガラスと呼ばれ、4球団から指名を受けオリックス入りした川口投手。

ビッグマウスでしたが一軍登板は通算9試合のみで未勝利。

二軍では暴投のシーズン記録を作るなど制球難に苦しみ不名誉に終わりました。

宮本大輔

1975年ドラフト1位で入団
通算成績:43登板/2勝3敗/防御率4.26

最速150キロの直球が自慢の宮本投手。

近鉄時代の2002年にプロ初先発初勝利、 その後はリリーフで活躍するなど一軍でブレイク。

しかし、その後は肘、足、腰と怪我が相次ぎ2009年に戦力外通告を受け引退しました。

宇高伸次

1998年ドラフト1位で入団
通算成績:31登板/2勝2敗/防御率3.51

アンダースロー右腕の宇高投手。

ルーキーイヤーに2勝を挙げ、活躍を予感させるもののその後は一軍定着できずに僅か5年で横浜へトレード。

横浜の強力なリリーフ陣に加わることが出来ず、移籍1年で戦力外通告され引退しました。

田中宏和

1994年ドラフト1位で入団
通算成績:一軍出場なし

140キロ台後半の直球が武器の大型右腕、田中宏和投手。

しかし、プロ入り後一軍登板のないまま5年で引退するなど現役生活は失敗に終わりました。

まとめ

以上、オリックスバファローズの歴代ドラフト1位選手の活躍・失敗選手をまとめてみました。

活躍した選手は

・平井正史
・野茂英雄
・阿波野秀幸
・田口壮
・佐藤義則
・Tー岡田
・山岡泰輔

失敗した選手は

・古川秀一
・甲斐拓哉
・丹羽将弥
・延江大輔
・川口知哉
・宮本大輔
・宇高伸次
・田中宏和

となりました。

高卒の失敗が極めて多いということですね。

ここ数年のオリックスは社会人や大卒を積極的にとっている印象というのは、高卒で失敗し苦い思いを経験しているからでしょう。

オリックスのイチロー選手、近鉄の岩隈投手と日米で活躍した選手は意外にもドラフト下位指名ですしブレイク中の山本由伸投手も下位指名選手です。

高卒選手は下位指名でも、しっかり育てていくことがオリックスの特徴でしょうか。