ホークス歴代4番打者ランキング!
今回は福岡ソフトバンクホークスの歴代4番打者をランキング形式で紹介していきます。
題して最強の大砲ベスト15!
南海時代からダイエー、ソフトバンクへと変遷し2018年には球団創設80周年を迎えました。
世代ごとのベストナインなどは球団が集計しましたが、今回は4番打者に絞って取り上げていきます。
目次
野村克也
引用元:https://blogs.yahoo.co.jp/thewhosnext7/31504592.html
ホークス史上最強の4番打者といえば、野村克也氏でしょう。
歴代史上ダントツトップの2256試合で4番打者として出場。
南海時代には監督、4番、捕手という3つの大役を担うなど長きに渡って活躍しパリーグ記録の通算667本塁打。
1965年には戦後初の三冠王に輝き、ベストナイン19回、オールスター21回出場などは今後破られることもない記録。
球界の頭脳でありながら、最強の4番打者を輩出したのがホークスであるというのはチームにとっても誇りですね。
沙知代夫人のご不幸で元気がなくなったと報じられましたが、次世代を担う若手選手たちにもっともっとたくさんのものを残していって欲しいですね。
門田博光
引用元:https://www.2nn.jp/mnewsplus/1507933598/
野村監督時代の南海を支えたのが門田博光氏。
この人もホークスの大砲を語るに欠かせない存在ですね。
門田選手といえば南海時代に三度の本塁打王を獲得した左のスラッガーです。
通算本塁打数・打点数ともに歴代3位に位置していますし。
元々は俊足巧打のタイプで野村監督の選手兼任時代には3番打者として活躍していましたが、「ホームランを打てば足への負担が減る」と野村克也引退後から長距離打者になったといいます。
40歳で打率.311、本塁打44、打点125という驚異の数字を残した選手でもありますね。
ちなみに野村監督とはそりが合わずに監督批判などもしていて、野村さんも門田選手には非常に手を焼いたそうです。
小久保裕紀
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%B9%85%E4%BF%9D%E8%A3%95%E7%B4%80
ダイエーの4番打者といえばこの人、小久保裕紀!
2年目の1995年に28本塁打で本塁打王のタイトルを獲得しましたが、以外にも本塁打王は一度しか獲得していません。
故障と隣り合わせの野球人生でしたが、2001年に自己最高の44本塁打を放ち、松中信彦(36本)、城島健司(31本)、井口資仁(30本)の4人で30本カルテットと呼ばれたのは印象的でしたよね。
脱税や巨人への無償トレードなどプレー以外でも話題になりましたが、通算2041安打、413本塁打を放った打棒は多くのファンを魅了しましたね。
いずれは監督としてホークスに戻って来てほしい存在です。
松中信彦
引用元:http://dailynewsonline.jp/article/1081730/
ソフトバンク時代の4番といったら松中信彦選手でしょう。
なんせ平成最後にして唯一になろうとしている三冠王ですから。
また、2006年の第1回WBCでも日本の4番打者として初の世界一に貢献しましたよね。
松中選手といったら、2004年に首位打者、本塁打王、打点王の三冠に輝いた選手。
幾多のタイトルを獲得しました。
2003年からの3年連続120打点以上はNPB唯一の記録となっています。
膝の故障などで晩年苦しみましたが、それでも通算352本塁打、打率は.296とスラッガーとして驚異的な数字です。
現在は解説者などをしながら、プロ野球選手を目指す子供達の指導もしています。
ホークスに戻って来てほしいという想いもありますが、将来ホークスの中心選手となるような若鷹を育成してほしいですね。
内川聖一
引用元:http://number.bunshun.jp/
常勝軍団福岡ソフトバンクホークスの4番打者といえば内川聖一。
言わずと知れたNPB史上最強の右打者で、横浜時代には右打者史上最高の打率.378をマークしました。
ソフトバンク移籍の2011年には史上2人目となる両リーグでの首位打者に輝くと、リーグMVPに選ばれる活躍で日本一に貢献。
2017年から4番を任させるとリーグ史上最速優勝に導きましたね。
内川選手の打撃センスについては野村克也氏も褒めちぎる程です。
2018年は2000本安打達成が目前ですが、このまま打ち続け球界史上最強の右打者になってもらいたいです。
香川伸行
引用元:http://blog.livedoor.com/
がっしりとした体型から「ドカベン」の愛称で親しまれた香川伸行選手。
主に捕手として活躍しました。
高卒1年目のプロ初打席では特大アーチを放ち強打者として存在感を発揮。
1983年には規定打席未到達ながら打率.313、15本塁打でベストナインに選出されました。
しかし、その後は太り過ぎからか活躍できず、10年で現役生活を終えました。
その後は解説者や評論家、飲食店経営やアマチュア指導などをしていましたが、2014年9月に心筋梗塞で逝去されました。
山本和範
引用元:https://ameblo.jp/dhdappo/entry-10890760774.html
「カズ」の愛称で親しまれ、一時登録名を「カズ山本」にもしていた山本和範。
近鉄入団4年目で戦力外通告を受け、南海に入団すると右翼手のレギュラーに定着。
バントをしない2番打者としての活躍が印象的でしたが時には4番を任されることも。
右耳に難聴を抱えながらもハッスルプレーと類稀なる勝負強さで20年以上現役を続けました。
その愛されるキャラクターから漫画「あぶさん」にも度々登場し、活躍していたのも印象的ですよね。
バナザード
引用元:https://ameblo.jp/haruno44/entry-11714165882.html
南海そしてダイエー初期に活躍したスイッチヒッターのバナザード。
メジャー1000試合以上出場の実績通り、1988年には巧みなバットコントロールで当時の外国人選手記録となる28試合連続安打をマークするなど打率.315の好成績。
ダイエー初年度の1989年には34本塁打を放つなど活躍しましたが、1990年田淵監督との確執や守備範囲の狭さなどもあり退団しました。
しかし、プロ野球初の1シーズン2度の1試合両打席本塁打を放つなど強打者として印象的な選出だったでしょう。
吉永幸一郎
引用元:http://beak.softbankhawks.co.jp/ex/75th-anniversary/sp/
そのバナザードの次に4番打者となったのが非凡な打撃センスある捕手の吉永幸一郎。
一本足打法から放たれる長打が魅力の選手で、あの松井秀喜も「吉永さんのインコース打ちはすごい」と評価した程です。
ただ、膝の故障や城島健司の台頭もあり途中からは内野手に転向し一塁手としての出場が増えました。
1997年には福岡ドーム初の1試合3本塁打を放つと、オールスターでも4番を任されるなど強打者として活躍しましたね。
藤本博史
引用元:https://blogs.yahoo.co.jp/
続いてはソフトバンクホークスの打撃コーチとしてもお馴染みの藤本博史。
南海時代には下位打線が多かったですが、福岡移転後にはクリーンアップを任されるように。
長打力が自慢でしたが際どい球を見送ったりファウルで粘ったりなど相手に球数を投げさせるいやらしい打者でもありました。
元々は三塁手でしたが、松永浩美の台頭を機に二塁へコンバートすると守備でも活躍の幅を広げましたね。
藤本博史自身は年間最多20本塁打と大砲としての活躍はできませんでしたが、次世代のホークスを担う大砲たちを輩出していって欲しいですね。
城島健司
引用元:https://mainichi.jp/
ダイエー史上最強のキャッチャーで強打者の城島健司。
平成で最も優れた捕手といっても過言ではない程の強肩、インサイドワーク、リードそして強打が売りの選手です。
当時、4番には小久保裕紀や松中信彦がいたため、3番や5番などのクリーンアップがメインでしたが、一時的4番を務めたこともありますし、やっぱりシーズン30本塁打以上が三度あり、ベストナインも6回選ばれていますから。
器的には4番といっても過言じゃありません。
マリナーズでも活躍し、日本球界復帰後の阪神も最後まで注目を集めましたね。
今や釣り人になってしまいましたが、いずれ指導者としてホークスに戻ってくる日も遠くないのでは?
ズレータ
引用元:https://blogs.yahoo.co.jp/
パナマの怪人と呼ばれた長打力が自慢の助っ人フリオ・ズレータ。
2003年の小久保裕紀故障の穴埋めとして「打てるサード」の名分で補強されましたが送球難で三塁手定着は叶いませんでした。
2005年には一塁手に定着し、打率.319、本塁打44、打点99といずれもリーグ2位の好成績をマークしました。
ただ、死球も多く乱闘で退場なんてことも度々ありました。
一方でホームランを打った後に見せる「パナマウンガー!」と叫ぶパフォーマンスは多くのファンから愛されましたね。
また、ロッテ時代にはサイクル安打も達成し、記憶に残る助っ人選手だったのでは?
ペーニャ
引用元:https://www.goo.ne.jp/
そしてもう1人も怪人、ウィリー・モー・ペーニャです。
軽々とスタンドへ放り込む長打力は強打者の証でしょう。
ホークスにはソフトバンク時代の2012、2013に所属。
2012年には21本塁打を放ちベストナインに選ばれました。
ピンボールのように早く遠くに打球を飛ばしていましたね。
また、トレードマークのからあごひげもホークスグッズとして登場するなど愛されるキャラクターでした。
その後はオリックス、楽天、ロッテと渡り2017年まで活躍しました。
まだ36歳ですから復帰する可能性もありますね。
柳田悠岐
引用元:https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201703280006-spnavi
そして次世代の4番打者として期待されるのが2015年トリプルスリー達成者の柳田悠岐。
走攻守すべてでスケールの大きい選手ですが、四球も多く出塁率が高いことから4番打者よりも3番打者としての起用が多いです。
ただ、自慢の豪快なフルスイングからは逆方向スタンドへも軽々運ぶ長打力があります。
2015年の横浜スタジアムバックスクリーン破壊弾は印象的でしたね。
今は後ろに内川誠一が控えるなど安心して打席に立てるかと思いますが、今後さらにプレッシャーのかかる場面も増えてきて成長していくと思います。
平成最後の三冠王へ期待は募るばかりです。
李大浩
引用元:https://matome.naver.jp
2014、2015に在籍し2年連続の日本一に貢献した韓国の大砲、李大浩。
2014年は4番に固定され、打率.300、本塁打19、打点61と自慢の長打力が発揮できずに2015年は内川聖一に4番を奪われ5番打者に回ります。
しかし、内川欠場時には4番を任されシーズン打率.282も31本塁打、98打点と勝負強さを発揮しました。
さらにヤクルトとの日本シリーズでも4番に座り5試合で16打数8安打2本塁打8打点と大当たり。
韓国人選手初の日本シリーズMVPにも輝きました。
短い在籍期間もホークスに大きく貢献した助っ人は今後日本のライバル監督の韓国の主砲として立ちはだかるかもしれません。
まとめ
以上、ホークスの歴代4番打者で最強の大砲15選手を紹介しました。
やはり、上位5選手は突出していますね。
特に南海時代の野村克也氏、ダイエー時代の小久保裕紀氏、ソフトバンク時代の松中信彦氏はまさに最強打者ですね。
今後のホークスも記録にも記憶にも残る名スラッガーが誕生してくれることを期待しています!