細川亨・楽天
今回は西武、ソフトバンク、楽天と球団を渡り歩いてきた名捕手

細川亨選手

について取り上げていきます。

細川選手といえば西武時代の2004年と2008年、ソフトバンク移籍直後の2011年そして2014年、2015年と5度も日本一を経験している、パ・リーグを代表する名捕手です。

守備面では相手打者を研究した慎重なリードと体を張ったブロックが自慢で、打撃では犠打を得意としているほかパンチ力を生かした長打も期待できる選手でした。

しかし、2016年には出場わずか49試合。地元・東北に本拠地を置く楽天イーグルスに移籍しましたが、怪我もあり出場機会に恵まれず、戦力外のうわさも囁かれています。

そのまま引退してしまうのでしょうか?

今回は細川亨選手の戦力外や引退の噂についてまとめていきます。

そして、嫁と子供についてもピックアップ!

また、年俸や性格についても迫ってみました。

ご覧ください!

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細川亨は戦力外?引退の可能性は?

まずは細川選手の戦力外の噂について触れてみたいと思います。

細川選手は2017シーズン、楽天イーグルスのユニフォームに袖を通し開幕1軍スタートしました。しかし、左ふくらはぎを負傷し4月30日に1軍選手登録を抹消されました。

その間楽天は茂木栄五郎・ペゲーロの恐怖の1・2番など破壊力抜群な打線を軸に首位を走り若手の活躍も目立っていたことから、

このまま引退するのでは?

と噂されます。

その後細川選手は交流戦明けの6月下旬に1軍に再合流すると、6月28日に故郷の青森県内で29年振りに開かれたオリックス戦では、移籍後初めてスタメンマスクを被ると、7回裏の第3打席でライト前へ移籍後初ヒットを放ちました。

しかし細川選手は9月4日に再び登録抹消。

楽天には嶋基宏選手という日本を代表するキャッチャーが正捕手に座るほか、足立祐一選手や小関翔太選手など若いキャッチャーもいることからこの時期に再昇格することはないと考えられます。

では、このまま戦力外や引退となってしまうのでしょうか?

細川選手は2016年オフ、ソフトバンクからコーチの打診を受けましたが、まだプレーを続けたいということで声のかかった楽天に移籍しました。

楽天でも嶋選手という正捕手がいるなか期待されるのは当然ベテランとしての若手の指導でしょう。

細川選手は西武、ソフトバンク時代からも積極的に若手投手の球を受け声をかけるなど、兄貴分として存在を発揮してきました。楽天にも安樂智大投手や藤平尚真など今後さらなる飛躍が期待される若手投手がたくさんいます。

以上のことから、細川選手は事実上の構造外選手つまり戦力外となる可能性が高いです。

しかし、前球団と同じようにコーチの打診があると思います。年齢的にも引退を考える時期だと思いますし、元々ケガも多くコンスタントに成績を残すタイプではないので、戦力外となった場合トライアウト等には挑戦せず選手を引退しコーチに就任する可能性が高いです。

追記:2018年楽天と契約合意

CHECK!プロ野球戦力外・引退予想2017-2018!ホークスの候補選手一覧

嫁と子供をチェック

ここからは細川選手の子供について触れていきましょう。

細川亨選手の嫁さんは眞紀子さん

細川亨・嫁

嫁・眞紀子さんは有名ではありますが、学童施設や保育園を運営する「ニリアバニー」の代表取締役を務めています。

ニリアバニーでは6年先まで与作が入っているといわれる「Bun Bu 学院」という学童保育機能を備えた児童施設を経営しているんだとか。

眞紀子夫人は未来のグローバーリーダーを育てることを理念に掲げていて、「将来有望」な子どもの育て方というタイトルの本を出版したり、保育・福祉系のサイトに掲載されるなど、まさに細川選手にとって自慢の嫁です。

細川亨選手は2002年に結婚しているわけですが、2004年に2人の間に子どもが産まれました。

長男・旺輝(おうき)くんです。

西武時代の2009年4月3日のロッテとの開幕戦。決勝の逆転スリーランを放った細川選手はお立ち台で「息子と約束していたので」と子どもの誕生日にホームランボールと勝利をプレゼントするなど良いパパっぷりも見せています。

ソフトバンク時代の2014年の日本シリーズでは旺輝くんが始球式をしました。ホークスジュニアアカデミーから生徒1人が選ばれたのですが、細川選手も「知らなかった」と成長した息子の姿に笑みを浮かべました。その試合ではヒットはなかったものの、フル出場しまたしても息子に勝利を届けました。

細川選手と眞紀子さんの間には2007年に長女が誕生していますが、これまで露出はありませんがたくましいプロ野球選手の父親と、教育に精通している母親の間で健やかに育っていることでしょう。

細川選手の生涯年俸は?

続いては細川選手の生涯年俸についてチェックしてみましょう。

西武時代
2002年⇒1500万円
2003年⇒1500万円
2004年⇒1900万円
2005年⇒3200万円
2006年⇒3500万円
2007年⇒4000万円
2008年⇒6000万円
2009年⇒9000万円
2010年⇒7100万円

ソフトバンク
2011年⇒7100万円(4年契約)
2012年⇒7100万円
2013年⇒7100万円
2014年⇒6400万円
2015年⇒1億円(2年契約)
2016年⇒1億円

楽天
2017年⇒年俸2000万円
2018年⇒2000万

西武時代は日本一になった2004年と2008年に大きく年俸がアップしています。
また、ソフトバンクには4年契約で移籍しましたが、初年度の2011年、最終年の2014年に日本一に貢献すると1億円の2年契約を結びました。

戦力外で楽天に移籍した2017年を除けば大きな年俸ダウンもないことからキャッチャーとして高い評価を受けコンスタントに活躍していたこともうかがえますね!

西武時代とソフトバンク時代の年俸をみて一流選手であることは間違いありません。

イメージとしては守備面での評価基準が強いイメージがありますが、打撃においても結構長打があって、一時的は「恐怖の8番打者」と呼ばれり、犠打の名手であることも魅力的な選手ですよね。

何せ5年連続20犠打を達成してる選手ですから。

これだけの年俸を貰っていた理由としてこういう部分の評価も忘れてはいけませんね。

細川選手の性格は?チーム内の評価についても

細川選手の特徴について序文で「体を張ったブロック」と記述しましたが、けがを恐れずに本塁でのクロスプレーでもボールを離さないなど逞しいキャッチャーです。

しかし、タッチプレーの場面で捕球するタイミングでホームベース付近に足を出すプレーや、ホームインするランナーの足元にマスクを投げるなど目を引くプレーも多く、「せこい」「卑怯だ」などと思われがちです。

一方で野村克也氏は

「1番キャッチャーらしいキャッチャー」

と評価していて、これらのプレーも相手の気を引きホームの踏み忘れなどを狙うといった頭を使ったプレーであるとされます。

以上から、細川選手のしたたかな性格がうかがえます。

また、細川選手は研究熱心な性格で、常にメモをとり相手の苦手なコースや球種を責める慎重なリードが持ち味で、ソフトバンク時代には杉内俊哉投手や森福允彦投手から「安心して投げられる」などと信頼されていました。

細川選手は2009年の第2回WBCの日本代表1次候補に名前が挙がったものの、最終選考で漏れました。

本来なら悔しさを露わにするでしょうが、細川選手はライオンズから選出された中島選手、片岡選手涌井投手を食事に連れていきエールを送ったそうです。

チームメイトからの人望も厚く、仲間想いな選手だと考えられます。

まとめ

今回は細川亨選手についてまとめてみました。引退説もありますが、最後まで体を張ってプレーする姿を若手に見せてほしいしファンとしても見ていたいですよね。

また、楽天の同僚には2008年の日本一を共に喜び合った岸孝之投手もいることですし、東北出身のふたりのバッテリーをもう一度見たいです。

また、仮に引退する選択をしてもコーチとして今後のプロ野球のために尽力してほしいですよね。