ヤクルトといえば昔から打線チームですが、今回はそんなヤクルトの長年主砲を務めている
畠山和洋選手
について取り上げていきます
畠山選手の最高本塁打は26本ということが意外な感じがしますが、畠山選手は怪我多い選手。
それさえなけば凄まじい成績をおさめてることでしょう。
2017年も怪我に苦しんでいますが、復帰はいつになるのでしょうか?
そんな畠山和洋選手の怪我の状態や復帰時期についてまとめていきます!
また、何かと噂されるトレードのことや、素行についても調査!
そして嫁や子供についても迫っていますので、どうぞご覧ください!
畠山和洋の怪我の状態はどう?復帰時期は?
2015年は26本塁打105打点とキャリアハイの数字を残した畠山選手ですが、2016年からは怪我に苦しむシーズンが続いています。
2016年は春季キャンプからぎっくり腰で離脱し、開幕には間に合ったもののしっかりと体を作れなかったことがたたって4月中旬に背筋痛のため2軍落ち。
5月に復帰しますが調子は上がらず、6月中旬に左手首痛で再び2軍落ちとなります。
その後は古傷の右アキレス腱痛の治療のため実戦には復帰せずに終わってしまいました。
という感じで常に怪我に苦しんでいるんですよね。
2017年は開幕早々に藤浪晋太郎投手からデッドボールを受けて乱闘騒ぎになったことが大きな話題となりましたね。
その数試合後に畠山和洋は左腓腹筋の肉離れで二軍行きとなり、わずか2017年は15試合の出場に留まっています。
そんな畠山和洋の怪我の状態なのですが、当時から長期離脱と宣告されたまま詳しい情報はないまま。
復帰時期については早くても9月と言われていたので、まぁ2018シーズンに完全復帰といったところでしょうか?
でも、畠山選手って怪我が多い選手ですね。
体の大きな選手でも怪我が多いことに共通しているのが体幹の弱さだったりするので畠山選手も体幹は決して強くなんでしょう。
スリムな選手で怪我の少ない選手の共通点は体幹の強さなので。
そんなわけで畠山選手は長期離脱が予想されていた通り復帰の目処はたっていない状況。
二軍でも全く出場していない状況ですので試合に出られないほど悪いのかもしれません。
チームも最下位に沈み、真中監督がシーズン途中で辞任を表明しましたが、やはりヤクルトは打線のチームなので畠山和洋の離脱はチーム事情に大きく影響してることは間違いないでしょう。
トレードの噂があるの?
畠山選手のことを調べていると、「トレード」というワードが出てきます。
CHECK!ヤクルトのトレードの噂は誰?
畠山選手がトレードとうのは現実的じゃありませんが、俗に言う大型トレードがまれにあったりするので、怪我が多い畠山選手を球団側がどう思っているかになるでしょう。
もちろん正式な発表前にトレードの情報が出てしまうことは問題ですから、信ぴょう性のある情報は得られませんでしたが目立ったのはファンが
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今の畠山選手と同じ価値がある選手は誰か?
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という話題で盛り上がっているということでした。
2017年が3年契約の2年目(年俸変動制)となっている畠山選手。
FA宣言した選手が残留したのに活躍できないとネタにされることは多いですが畠山選手は2015年にFA権の獲得をした際、当初は
「他球団の評価を聞いてみたい」
としながらも結果的には権利を行使することなく残留を決めています。
FAを行使せずに残留した畠山選手にとってトレードを望んでいるはずがないと思いますし、こんな話があっただけでも本心は球団に見捨てられた感は出るんじゃないでしょうか。
ヤクルトファンというよりは他球団のファンが畠山選手のトレード話に花を咲かせているようですので、ヤクルトファンのみならず他球団からも欲しがられている選手ということなのかもしれませんね!
怪我が多いといってもそりゃ畠山選手はどこの球団でも欲しいでしょう!
このトレードは現実的じゃありませんね。
嫁と子供は?素行は悪い?
ここでは畠山選手の嫁と子供から見ていきましょう。
2008年7月に知人の紹介で知り合い、交際からちょうど1年の2009年8月30日に入籍しています。
美里さんは元モデルさんだけあって、身長170センチを越えるスレンダーな美人。
畠山選手はギョロリとした目にひげを蓄え、貫禄のある体格ですよね。
まさに美女と野獣!
そして子供については二人の息子さんがいるそうで2013年に長男、2015年に第二子が生まれていますが名前の情報まではありませんでした。
畠山選手は家族の時間をとても大切にされているそうで、電車好きの息子さんのために鉄道のおもちゃを買ってあげたり、鉄道博物館にもよく行くそうです。
強面からは想像もつかない子煩悩ぶりですね!
さて、風貌からして決して優等生タイプには見えない畠山選手ですが、期待を裏切らず、プロ入り前からやんちゃだったようです。
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素行は悪い
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ことはファンの間では有名な話ですね。
放任主義のお父さんの元でのびのびと育った畠山選手。
専大北上高校時代も監督の言うことを半分も聞かなかったそう。
当時の監督である矢田利勝さんは、調子を落とした選手を必ず走らせていたそうですが、畠山選手は走るのが嫌いだからと言って代わりに打撃投手をやっていたそうです。
監督が舐められていたわけではなく、監督の指示に背くことを許さない雰囲気を作っていたにも関わらずこういう態度だったそうですから、度胸があるというか「和を乱す」なんて言って退部にでもなりそうな行動ですが、それでも矢田監督は、
わが道を行くタイプの畠山選手はプロでは大成する
と信じていたそうです。
ヤクルトに入ってからもその自由奔放さは健在で、夜中に寮を抜け出して繁華街に繰り出し、寮に戻るのは3時か4時。
門限は22時だったそうですが、そんなの全く無視。
パチンコにも夢中になり、全体練習後に「特打をやる」と嘘をついてパチンコ屋へ直行。
休みの日には開店前の列に並ぶ始末。
これらの行動のおかげで、「戸田の問題児」と呼ばれていたそうです。
ここまでくると自由奔放という言葉では済まされず素行が悪いと言われても仕方ない感じがします。
それでも戸田寮には9年もいた畠山選手。
なんだかんだで居心地が良かったんでしょうか?
そんな畠山選手を、当時二軍の打撃コーチだった荒井幸雄さんは手を焼きながらも私生活の改善も含め粘り強く指導を続けます。
その甲斐あって、2軍で試合に出るうちに少しずつ意識は変わっていき、2008年、二軍監督だった小川淳司さんが一軍のヘッドコーチに昇格したことをきっかけに、畠山選手に一軍出場のチャンスが訪れます。
助っ人の不調で4番を任せられる選手を探していた当時の高田監督に、小川ヘッドコーチは畠山選手を推薦します。
守備に課題はあったものの、目をつむって起用し続け121試合に出場させます。
年俸も900万円から3200万円に跳ね上がり、畠山選手は一軍でやっていくことの楽しさを知ったといいます。
2008年は奥様と出会った年でもありますし、野球でもプライベートでも転機となった年だったんですね!
それから徐々にではありますが、確実に一軍での出場機会を増やしていきます。
2015年に優勝した時、畠山選手は見守ってくれた球団と、使い続けてくれた小川さんに感謝の言葉を述べています。
本当に、ヤクルトという球団の懐の深さを感じますね〜。
きっと他の球団では畠山選手をここまで育てられなかったのではないでしょうか?
まとめ
ここまでヤクルトの畠山選手の怪我の状態や復帰時期などについて色々とまとめてみました。
いかがだったでしょう?
ファンからはトレードを希望?する声もありますが、ヤクルトがここまで手塩にかけて才能を開花させた選手を簡単に手放すとは思えません。
FA権を獲得した際も権利を行使せず残留を表明していますし、畠山選手自身もヤクルトに愛着があるのではないでしょうか。
低迷しているチームの為にも復帰が待ち遠しいですね!