1993年のオフから導入されているFA制度。
もっともFAで補強してる球団といえば巨人ですね。
これまでFAで数々の選手を獲得してきましたが、活躍した選手もいれば期待通りの活躍ができずに終わった選手もいます。
今回は「巨人歴代FA補強の一覧まとめ」と題して巨人の歴代FA補強で成功した選手と失敗した選手にまとめてみました。
ざっとしたイメージで振り分けてますので、賛否はあるかと思いますのでご了承ください。
目次
巨人歴代FA補強の一覧まとめ【成功選手】
過去に強力な選手をFAによって数多く獲得してきた巨人。
その中でも特に球団側として成功といえる選手たちを紹介していきます。
落合博満
在籍期間:1993年~1996年
352試合:打率.296/53本塁打/219打点/4盗塁
落合博満氏は、日本プロ野球において初めてのFA選手の一人と言われています。
1993年に初導入されたFAを利用し、中日から巨人へ移籍しました。長嶋監督から「若い選手に生き様を見せてほしい」と言われ入団を決意したと言われています。
成績においては3年間で362安打、53本塁打と移籍時40歳であったのにも関わらず凄い成績を残しています!
特に1996年、42歳のシーズンでは打率.301、21本塁打、打点86とレジェンドに相応しい成績を残していますね。
しかし、1996年オフ巨人は当時西武の清原氏を獲得しようとします。落合氏も清原氏も守備はファーストであり、巨人フロントは清原氏をスタメンとしたいと考えていました。
それに対し落合氏は激怒で球団側に申請して自由契約の身となり、日本ハムに移籍。
広沢克己
在籍期間:1995年~1999年
384試合:56本塁打/178打点/打率.259
ヤクルトからFA移籍
打点王に二度輝き、一発も打てる選手として期待され入団しました。
野村監督の元から離れ、巨人にFAで移籍したことは人生のターニングポイントであったと本人も語っていますね。
肝心の巨人に来てからはメインのファーストを守ることができず外野にコンバート。
初年度は20本塁打、70打点と素晴らしい活躍を見せました。
その後、不振の年もある中で成績を伸ばしていきました。
しかし、盗塁を試みた際のケガ等が原因で1999年巨人から自由契約となり、阪神タイガースへの入団が決定。
河野博文
在籍期間:1996年~1999年
108試合登板/10勝/4敗/87奪三振/防御率3.76
1年目から8勝をマークし、4年目には最優秀防御率のタイトルも獲得しています(防御率2.38)。
その7年後、1995年オフにFA宣言を行います。そして、巨人への入団が決定しました。
入団後、1年目からフル活動。
序盤こそ二軍スタートでしたが途中から一軍に合流。
39試合に登板し6勝1敗3セーブ、防御率3.29と良い成績を記録。
この年から始まった最優秀中継ぎ投手にも選出されました。
その後、若手の活躍もあり登板機会が減少。1999年に自由契約となり、ロッテへの移籍が決定しました。
清原和博
在籍期間1996年~2004年
846試合:打率.266/185本塁打/576打点
続いて成功したと言えるのは清原和博氏。1996年のオフ、FA制度制度を利用して西武から巨人へ移籍。
有名な話ですが、清原氏はドラフト段階から巨人入りを深く熱望。
そして巨人サイドも清原を1位指名で獲得するという約束の元成立していましたが、早稲田大学への進学を考えていたKKコンビの桑田を1位指名。
それから11年後、清原はFA宣言を行い、念願の巨人軍へ入団。
加入年の1997年には32本塁打、95打点と文句なしの活躍。打率が.249と物足りない部分もありましたが、ホームランバッターとしての威厳を遺憾無く発揮していました。
その後も安定して毎年2桁本塁打を達成するなど巨人のFA選手として十分な成功を収めたと言えるのではないでしょうか?
清原氏が巨人を退団する原因となった一つに、本塁打を放ったあとにコーチや監督らとのハイタッチを拒否した事件というものがあります。
この一件以降清原氏は孤立を強めていったと世間一般では言われています。拒否した理由は7番打者として起用されていたため、とも言われていますが真相は定かではありません。
そして戦力外通告を受け、自由契約選手となり翌年オリックスへ入団しました。
工藤公康
在籍期間:2000年~2006年
128試合登板/53勝/40敗/732奪三振/防御率4.05
工藤氏は、1999年福岡に移籍して以来優勝のなかった福岡ダイエーホークスのエースとして君臨していました。
しかし、ダイエーフロントの金銭面のみならず態度なども含めていざこざ、摩擦が生じ工藤は移籍を決意します。
この際「もっとダイエーでやりたかった」ととれる発言も行っていました。
ファンからも工藤移籍を呼び止めようとする署名が17万3000人分も集まり、工藤に対する福岡県民の熱が伺えますね。
結局フロントに一度抱いた不信感を拭うことはできず、巨人へ移籍。
入団した年から12勝5敗、防御率3.11と優秀な成績を残した工藤氏。
そして2004年には、自身の勝ち越し2ランホームランで勝ち取った200勝も達成しました。
工藤は「優勝請負人」と呼ばれることは多数ありましたが実際に移籍した初年度からリーグ優勝。これでダイエー・巨人とまたいで2年連続の優勝を経験しました。
工藤氏は43歳のオフ、2006年に巨人からFA移籍を行った門倉健に対する人的補償として横浜への入団が決定しました。
横浜でも3年間で9勝を挙げるなど年齢を感じさせない活躍でしたね。
江藤智
在籍期間2000年~2005年
627試合/打率.256/101本塁打/296打点
江藤氏は元々広島に所属。その点では今年の丸を彷彿とさせるFA移籍でしたね。
移籍を決断した1999年には、横浜戦で1試合10打点を達成(セ・リーグタイ記録)し、高打率をキープしていました。
元々は横浜への移籍が確実視されていましたが、同じくFA移籍を確実視さえていた横浜の進藤達哉が残留したため、巨人への入団が決定。
当時の長嶋監督からは背番号33を譲られ、期待されていたことが伺えます。
その期待に応えるように、入団から2年連続30本塁打を達成。不振だった高橋由伸に変わり3番打者を務め、その役割に相当する活躍を見せました。
しかし、巨人入団から6年目に代打要員として使用されることが増え始め、2005年のオフ、西武から巨人へFA移籍してきた豊田清の人的補償として西武に移籍。
奇しくも同じ年にFA移籍した工藤公康と同じFA移籍の人的補償という道を歩みました。
前田幸長
在籍期間:2002年~2007年
240試合登板:11勝/8敗/218奪三振/防御率3.96
前田氏は中日から巨人へFA移籍。
巨人では特に中継ぎ、セットアッパーとして活躍しました。
2001年、先発、中継ぎを経験した中日でのシーズンで当時のコーチと合わず、FA宣言を行ったと言われていますが真相では定かではありません。
その結果、巨人へ入団。
入団から4年連続で40試合以上登板(53,50,44,50)し、セットアッパーとして安定した成績を残しました。
特に2年目の2003年は投手が崩壊していた年と言われている中での50試合登板、防御率3.15と非常にチームの要といえる活躍ですね!
この頃にはまだホールドポイント自体はありませんでしたが安定した成績でしたね。、出す走者が少ないことも持ち味でした。
2007年オフ、「日本球界でやり残したことはない」という旨の発言をし、メジャー挑戦を球団に申し入れました。巨人側はその要望を受け入れ、自由契約を成立させました。
豊田清
在籍期間2006年~2010年
197試合登板/9勝/24セーブ/防御率3.12
豊田は西武から巨人へFA移籍。
西武時代には二度最優秀救援選手になっています。
クローザーとして非常に能力の高い選手でしたが、2005年故障などもあり例年に比べると思い通りの結果を残すことができませんでした(19セーブ、防御率3.97)
そしてオフ、FA権を行使し巨人へ入団しました。
入団してから中継ぎとして活躍。入団から3年連続で防御率3点台前半をキープし、安定した投球を披露しました。
そしてホールドを重ねていきました。2009年には防御率1.99を記録するなど非常に頼もしい存在でしたね。
しかしその翌年の2010年、登板数は16に減少。さらに防御率も4.40となってしまい、球団から戦力外通告を受けます。
その後、中継ぎを必要としていた広島が獲得。2011年に現役引退を宣言し、引退しました。
その後も様々なチームでコーチをしていたこともあり知っている方も多いのではないでしょうか?
小笠原道大
在籍期間:2007年~2013年
701試合/打率.296/138本塁打/413打点
続いては恐らく近年のプロ野球を見ている人なら知っているであろう「ガッツ」こと小笠原道大氏。
2006年にはWBCにも出場し、非常に記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。さらにその年は32本塁打、100打点を記録しパ・リーグMVPにも輝きました。
日本ハムの優勝に大きく貢献した一人ですね。
その年のオフに小笠原はFA権を行使。日本ハムからも残留を要請されますが家族と一緒に生活するため(妻や子供は市川市にいた)巨人に移籍したとも言われています。
その際トレードマークであった髭を剃り落としたことも話題になりましたね。
巨人に入団してから4年連続で打率は3割超え。本塁打も4年連続30本以上と巨人の優勝に大きく貢献しました。
さらに巨人在籍中に350本塁打と1000打点を達成。小笠原とラミレスの3・4番コンビも有名でしたね。
2013年、怪我などもあり開幕二軍でしたが一軍に合流。
しかし思い通りの成績を残せず、FA宣言を再び行うことを決意。そして中日へと移籍して、その後2015年まで中日でプレーしています。
藤井秀悟
在籍期間:2010年~2011年
24試合登板/7勝/3敗/防御率3.83
藤井氏は日本ハムでFA移籍を発表し巨人に移籍。
実際この時は日本ハムから戦力外通告を受けており、体裁を取ってFA宣言を行ったとも言われています。
2001年には最多勝に輝くなど実績のある選手ですね。
藤井氏は巨人に移籍後一年目の2010年に7勝を挙げます。
先発しても少ない回数で降板することが多々有り、勝ちを積み上げられない中で序盤に6勝を挙げており、非常に期待されていました。
しかし、翌年には登板回数が激減。一度のみ二番手として登板しますが5回3失点で降板。この年にそれ以上の登板はなく、年俸は50%減でサインしました。
そんな中、巨人へFA移籍してきた村田氏の人的補償としてDeNAに移籍して2年間で13勝を挙げるなど活躍しました。
その後は巨人の打撃投手になっています。
村田修一
在籍期間:2012年~2017年
795試合:109本塁打/391打点/打率.274
元々は横浜の主砲でお馴染みの選手で2度本塁打王に輝くなど素晴らしい活躍をしていましたが反対にチームは低迷状態。
そのことが原因とも言われていますが村田氏は2011年オフに巨人へのFA移籍。
巨人へ入団した後、全試合出場を2年連続で達成。不振に苦しむ中、毎年しっかりと成績を残していましたね。
三塁手としてゴールデングラブ賞に選出されたり、ベストナインに選出されたりと毎年結果を残し、巨人からの生え抜き以外で初の選手会長を務めました。
しかし2017年、巨人フロントは選手の高年齢化を理由に自由契約。
ここでFA宣言をさせなかったことは村田に対するフロントの思いやりとして扱われています。様々な球団から村田氏は引く手あまただと考えられていました。
個人的にもこれほどの選手なので、年齢にネックがあるとはいえ、三塁が固定されない球団が獲得するであろうと思いましたね。
その思いとは裏腹に、どこの球団も獲得されず。独立リーグで再指名を待ちますが、期日の7月末を迎え、村田氏は引退を宣言しました。
2000本安打までもう少しだっただけに、複雑な感情を抱いているファンも多かったのではないでしょうか。
杉内俊哉
在籍期間:2012年~2018年
91試合登板/39勝/22敗/559奪三振/防御率3.03
ホークスからFA宣言。
この際もホークスフロントが「FA権を獲得しても必要とする球団はない」という発言をしたため杉内氏はFA宣言を行ったと言われています。
この件については小久保氏なども似たような事件があったと言われていますね。
杉内氏は巨人に移籍してからも輝かしい成績を残したわけですが、一番印象的な試合といえば2012年5月30日の楽天戦ではないでしょうか。
杉内氏がノーヒットノーラン、完全試合未遂をした試合ですね。
9回2アウトまでランナー一人も許さなかった試合でしたが、最後のひとりである中島俊哉にフォアボール。完全試合は消滅してしまいました。
しかし杉内氏は落ち着いたピッチングでノーヒットノーランを達成。75人目のノーヒットノーラン達成でした。
この時のピッチングはよくテレビなどでも放送されているので当時を知らなくても見たことがある人は多いのでは?
杉内氏は2014年まで2桁勝利を継続させますが、2015年に股関節を手術。
その後、3軍での登板は一度ありましたが公式戦登板はなし。
3年経過した今年、杉内氏は引退を宣言しました。
「争う気持ちより若手を応援する気持ちが強くなっていった」と話していましたね。
巨人の2軍投手コーチとしてさらに若手を育成していって欲しいです。
大竹寛
在籍期間:2014年~
65試合登板:33勝/21敗/防御率4.36
広島からFA移籍。
2001年にドラフトで一位指名され、2003年に初勝利。
その後、3年連続で規定投球回に到達するなど活躍を見せ、一度は不調に陥りますが見事に復活。カムバック賞も受賞しました。
その後、2013年にFA権を行使。巨人入団が決定しました。
巨人に入団して1年目の2014年には9勝を記録。
そして同年に全球団からの勝利を挙げました。登板した試合の半分以上に勝ちが付いていることも先発としてゲームをしっかり作っている証と言えますね。
しかし、2018年は2軍生活が長く、2試合登板1勝1敗と不完全燃焼なシーズンとなりました。
年俸も減額制限を越える50%ダウンで更改し、来年の再起が望まれますね。是非とも頑張って欲しい選手の一人です。
片岡浩大
在籍期間:2014年~2017年
271試合:18本塁打/72打点/49盗塁/打率.246
西武からFA移籍。
西武で2007年から4年連続盗塁王を獲得し、2008年には最多安打も獲得しました。
怪我などにも悩まされ、2013年のオフにFA宣言を行い、巨人への入団。
この時片岡の人的補償として脇谷氏が巨人から流出しています。
そして2014年の開幕戦で片岡は移籍後初安打をホームランで飾ります。二軍落ちも経験しますが、規定打席に到達し、チームトップの24盗塁をマークしました。
巨人は長年二塁手の固定に困っていたため、非常に重宝されていたと個人的に思っています。
2015年、通算300盗塁も達成。さらに二塁手だけでなく遊撃手や三塁手もそつなくこなすポテンシャルの高い選手でした。
2017年には右膝の故障により一軍出場はなし。そして引退会見を行いました。
そして巨人の内野守備走塁コーチを務めています。
山口俊
在籍期間:2017年~
34登板:10勝/10敗/1セーブ/防御率5.05
横浜からFA移籍。
横浜では先発から抑えに転向し、ハマの守護神として君臨していた時期もありましたね。
横浜の終盤では先発に再転向。持ち前のスタミナで多くの投球回を投げてきました。
2016年のオフ、涙ながらにFA宣言。横浜も宣言残留を認可していましたが、結果的に巨人に移籍。新たに巨人の山口俊投手が誕生。
2017年、序盤は肩の痛みなどで出遅れますが、6月14日に移籍後初登板。6回をパーフェクトに抑え、継投含むノーヒットノーランを達成しました。
しかし、その約一ヶ月後暴行事件が発覚してシーズン終了までの出場停止が言い渡されることに。
そのまま2017年シーズンは終了し、2018年シーズンに突入しますがノーヒットノーランを達成。リリーフを任されたりクローザーを試行されたりと様々な使われ方をしましたが、最終的には規定投球回に到達。
力のある投手なので、これからまだまだ活躍の期待がかかります。
陽岱鋼
在籍期間:2017年~
174試合:19本塁打/70打点/6盗塁/打率.254
日本ハムから巨人に移籍。
陽選手は日本ハムに所属していた選手です。台湾人選手として日本球界で一番有名なのではないでしょうか。
日本ハム時代はその広い守備範囲と俊足で目立つ選手でしたね。
しかし2016年のオフ、国内FA権を取得する中、日本ハム側の球団構想と噛み合わず事実上の退団となるFA権の行使を行いました。
巨人に入団してからはコンディション不調などもあり一軍への合流は時間を要しましたが活躍。
2017年は87試合、打率.264、9本塁打と不本意な結果と終わりましたが、守備範囲の広さは健在でした。
2018年はさらなる期待をかけられていましたが4月、死球による骨折で2ヶ月近く離脱。
前年と同じ87試合出場、打率.245、10本塁打と不完全燃焼な結果になってしましました。
代打での出場が増えてしまっており、丸の入団によりさらにポジション争いは激しくなりそうですが来シーズンも頑張って欲しい選手です。
野上亮磨【???】
在籍期間:2018年~
25試合:4勝/4敗/防御率4.79
西武からFA移籍。
2008年ドラフト2位で西武に入団し、入団初年から先発、中継ぎとして即戦力となりました。
その後、先発ローテーションを任されるようになり、最も勝ち星を挙げたときは11勝(2013年と2017年)。
安定してローテを守ることができる選手として重宝されていました。
野上は2017年オフ国内FA権を取得。
西武は宣言残留も認める方針でしたが結果的には巨人に2017年オフに入団が決定。
そんな野上は巨人に入団してから2018年シーズン序盤は先発を任されることが多くありましたが不調により終盤には中継ぎに回されてしまい、4勝4敗、防御率も4点台後半と非常に残念な結果に終わってしまった一年。
2018年までのデータなので、野上投手の場合は成功か失敗かまだわかりません。
以降、再起に懸けて欲しいですね。
巨人歴代FA補強の一覧まとめ【失敗選手】
さて、多くのFA選手を活用し優勝、戦力補強につなげてきた巨人ですが、思ったとおりの活躍をせず残念な結果になってしまったいわゆる失敗の選手もいます。
では巨人としてありがたくなかった選手はどのような人々でしょうか。
川口和久
在籍期間:1995年~1998年
85試合:8勝/13敗/防御率4.32
広島からFA移籍。
広島時代に3度の最多奪三振に輝き、6年連続2桁勝利を挙げるなど広島で大活躍。
そんな川口は広島初のFA宣言選手でした。球団側は慰留を行わず、数多くの球団が獲得に興味を示す中長嶋監督のもとである巨人への入団が決定。
しかし、巨人に入団してからは思う通りの活躍ができず。
左の補強という目的で獲得した巨人でしたが、移籍初年度はわずか4勝止まり、投球回数も広島時代はレギュラー定着後毎年100回を超えていましたが91.1回止まり。
その後、リリーフに転向しまた新たな活躍を見出しました。
成績としてはそこまで悪くないとは思うのですが、左の先発を欲しがっていた巨人側としては少し物足りない結果であったかもしれませんね。
そして移籍から4年目の1998年、現役引退を発表しました。
野口茂樹
在籍期間:2006年~2008年
32試合登板:1勝/1敗/防御率4.73
中日からFA移籍
中日時代に最優秀選手、最優秀防御率や最多奪三振選手に輝くなど素晴らしい活躍を見せました。
FA移籍を行う2005年には13試合で3勝6敗と思い通りの結果が残せず、その中でFA宣言して巨人入団。
入団した初年度、2006年は新外国人のパウエルや内海の一軍スタートにより二軍スタート。
その後、初先発を経験しますが3回5失点と炎上。負けは付きませんでしたがそのまま二軍落ちとなり、シーズンを終了しました。
翌年の2007年にはリリーフに転向。前半戦は上々の活躍を見せますが、徐々に対策され結果は31試合登板の防御率4.30。
その翌年は一軍登板なし。戦力外通告を受けました。
戦力外通告を受けたあともトライアウトを受けたりしましたが獲得する球団は現れず。
メジャーのブルージェイズとマイナー契約を結びますが左肘の異常が発覚し、契約破棄となりました。
その後、独立リーグの監督なども行っているようです。
門倉健
在籍期間:2007~2008年
23試合登板:1勝/7敗/防御率5.29
横浜からFA移籍。
すでに横浜の時点で二度交換トレードの選手となっていたため三球団目で、巨人で四球団目となっていました。
本来はメジャーリーグへの移籍を考えていた門倉ですが、巨人側から熱烈なアピールを受け入団が決定。
この際に横浜に人的補償として工藤公康が移籍しました。
さて、いざ入団し開幕2試合目で登板しますが敗戦投手に。
その後二軍落ちなども経験し、8月まで勝ちがつかず。
その勝ちがついた後に中継ぎに転向するも、思うどおりの成績を残すことができず。
翌年の2008年はシーズン中盤で中継ぎとして一軍昇格。序盤はいいペースで成績を残しましたが次第に打たれ始め結局二軍落ちとなってしまいました。
さらにその年の年俸交渉減額制限を越える減俸を巨人が行い交渉が決裂。
結局折り合いがつかず自由契約となり、野口茂樹と共にメジャーのトライアウトを受けました。
来シーズンからは中日の二軍投手コーチに就任することが決定しました。
是非とも選手の育成にも自身の経験を活かして頑張って欲しいですね。
相川亮二
在籍期間:2015年~2017年
106試合:4本塁打/24打点/打率.264
ヤクルトからFA移籍。
ヤクルトより以前は横浜の選手で、高い盗塁阻止率と捕手として課題に挙げられがちな打撃が魅力的な選手ですね。
第三回WBCの壮行試合であるオーストラリア戦で逆転3ランホームランを打ったことを覚えている方も多いのではないでしょうか?
そんな相川ですが、2014年に中村悠平が頭角を現し始め出場試合数が減少。
より多くの出場機会を求めてFA宣言。巨人への入団が決定します。
その点では2018年オフに入団したの炭谷選手と似ていますね。
相川氏は入団後、阿部選手が本格的にファーストに転向したことにより正捕手だった時期もあります。
魅力の打撃も冴え渡り、規定打席に到達することはできませんでしたが打率.313と高打率を残しています。
しかしその後は小林誠司が正捕手に定着するなど代打、控えの機会が増加すると、2017年、引退を決意。球団からはもう一年いてほしいと言われますが引退。
その後野球評論などを経て巨人のバッテリーコーチに就任することが発表されました。
このFAでは巨人はそこまで失敗したとは思っていません。
しかし、より多くの試合出場を求めてFAした相川にとっては出場試合が減少したこともありそこまで嬉しいFAではなかったかもしれませんね。
金城龍彦
在籍期間:2015年
36試合:1本塁打/10打点/打率.233
横浜からFA移籍
2000年に首位打者と新人王に輝くなど実力の持ち主です。
2014年、横浜側から現役の引退とコーチへの転身を打診されますが金城は海外FA権を行使。
横浜は宣言残留を認めない方針であった中、巨人が唯一獲得に興味を示し巨人への入団が決定しました。
2015年には開幕一番打者となり、序盤は良い成績を残しますが維持できず。
徐々に下降していき、6月に二軍に落ちて以降は一軍に合流できず。
そのまま2015年で引退することを球団に伝え、引退が成立しました。
切り札として期待された時期もありましたが、期待通りの成績を残したとはいえなかったですね。
その後は巨人で三軍の打撃コーチ、二軍の外野守備走塁コーチも行っています!
脇谷亮太
在籍期間:2016年~2018年
106試合:1本塁打/7打点/打率.192
脇谷は元々から巨人の選手でしたが2013年にFA移籍してきた片岡の人的補償として西武に移籍。
そのまま2年間西武でプレーし、2年目の2015年には守備固めから二番打者として定着、活躍し打率.294、3本塁打、22打点の成績を残しました。
その年、FA権を行使し巨人への復帰が決定しました。
巨人に復帰したあと、2016年にプロ初のサヨナラホームランを打つなどしましたが打率は.157。
翌年の2017年も不調に陥りプロ入りから初の打点0を記録してしまうなど悔しいシーズンでした。
2018年は一軍出場なし。同時に引退を宣言しました。
来年以降は巨人のスカウトとして活躍するそうです。
是非とも未来のエース、四番をより多く見つけていってほしいですね。
森福允彦
在籍期間:2017年~
32試合登板:1勝/3敗/7HP/防御率8.28
森福はソフトバンクからFA移籍。
終盤は左のワンポイントとしてソフトバンクで活躍した森福。
中日との日本シリーズでの「森福の11球」はかなり有名なシーンではないかと思います。
そんな森福は2016年FA宣言を行います。その結果、巨人への入団が決定しました。
しかし、いざ入団してみると開幕7戦で2敗。防御率も5.40と期待通りの結果を残すことができず。
そのまま二軍に抹消され、その後一軍への再復帰を果たしますが再びソフトバンク時代と同様左のワンポイントとして起用されるように。
2017年は30試合に登板し6Hしか挙げることのできない悔しいシーズンとなりました。
2018年は登板数は2試合。期待を裏切る不完全燃焼なシーズンなので、見返す活躍を期待したいですね。
巨人歴代FA補強の一覧まとめ【2018年から入団した選手】
さて、これまで様々な選手がFA移籍してきた巨人ですが今年はどうでしょうか?見ていきましょう。
炭谷銀仁朗
在籍期間:2019年~
西武からFA移籍
高い盗塁阻止率と安定した守備が特徴の選手ですね。
西武でのFA宣言理由はやはり森友哉が頭角を現してきたことでしょう。
そのことで出場試合が減少しましたからね。機会を求めてのFA移籍。
原監督からはコーチとしての一面ももってやって欲しいと伝えられています。
小林選手や2019年からは阿部も捕手に復帰するそうです。
ポジション争いは激しいでしょうか是非とも頑張って欲しいですね!
丸佳浩
在籍期間2019年~
2018年オフ、巨人の大補強の中心となった丸選手。
丸は今年のオフに広島からFA宣言をし巨人に移籍してきた選手です。
今年のFA市場の中で西と並ぶ目玉とされていましたね。巨人のみならずロッテも獲得に動き、広島も異例の宣言残留を認める形となっていました。
そんな丸の特徴はなんといっても選球眼とバッティング。
現在巨人の三番は坂本勇人というイメージがありますが、恐らく2019年以降は三番丸になるでしょうね。
2017年には最多安打に輝いたり、6年連続ゴールデングラブ賞、3年連続ベストナインに選出されたりとかなりの実力者。
打撃が魅力の巨人の中で丸が入ることでさらなる厚みが増し、1、2番打者に力が注げると考えられています。
元々丸は巨人に対して打撃成績が優秀だったこともあり、巨人にとっては二重に美味しいのでは?
広島時代以上の活躍を移籍先の巨人でも見せて欲しいですね!
まとめ
いかがだったでしょうか?
ここまで歴代の巨人のFA補強選手から成功例と失敗をわけてまとめてみました。
一流選手を補強してきたわけなので圧倒的に成功した選手が多いですね。
巨人はFA大補強の代名詞的ですが、チャンスが少なく他球団に移籍して活躍する選手もいるので、生え抜き中心とした起用を望むファンも多いのではないでしょうか。
そんな巨人のFA補強の今後からも目が離せませんね